人生のピークと残証2011

人生のピークを振り返る

皆さんは「人生のピーク」について考えたことがありますか。

自分は最近、そんなことを考える時間が増えてきています。東日本大震災、そして放射能による避難と帰還。そしてめまぐるしく変わる日常の移り変わりに加えて新型コロナウイルスによる当たり前だった日常の大きな変化。
それらはボクの心を少しずつ削って、すり減らした心の欠片で何とか生きている現状。明日何が起こるかなんて分からないけれどもうっすらと見えていた未来予想図が儚くも崩れていった10年だった。そして何も築けず、気づけなかった10年でもあった。日銭を稼いで何とか命を繋げている。そう、そうやって「生かされている」毎日を過ごしているうちに人生なんてどうでも良くなって、半ば諦めた気持ちが自分を緩く包み込んでいる。っちゅうと半端な絶望は頭の構造をとてもシンプルにして、物事を深く考えなくなった。どうしてこの地球は回っているんだろうとか、どうして物事が上手くいかないんだろうとか考えても今目の前にある課題にすら目を背け続け、そして毎日の空腹を手頃な食べ物で埋め尽くしている。
ふとぼんやり考え込むと、大学生の時のことをよく思い出す。そう、あのときは毎日に発見と課題が溢れていた。「夢」なんてセンチな言葉じゃ語れないけれど、interestingがそこらじゅうに落ちていた。「考えること」は「わくわくすること」だった。今の自分には銭よりの貴重な体験に埋め尽くされた数年間がそよ風のように吹き抜けていった。その風が自分の心の埃を吹き飛ばしてくれた。心地よい。快い。

今の自分の心にもまだあのときの風の残り香が少し残っている。押しつぶされそうな無言の圧力が毎日の生活にのしかかって、ボクは潰れてしまいそうになったとき、ふと頭をよぎるのはあの頃のこと。毎日が新しい出会いと発見に満ちていた。まるで小学校の新入生のような感情だが、ちょっとタイムマシンでも欲しくなる。

あのときからずっとそうだ。放射性物質飛散による生活の悲惨な変化。コロナウイルスによる生活の変化。周りからの干渉が無言の圧力となり、息苦しい。そう、この状況はまだまだしばらく続くのだろう。それは覚悟している。

ボクは何かしなければならない。そんな根拠のない焦りが毎日の生活でボクの背中を叩いている。小さく、しかし芯に響く確かな力で。

福島を捨てるか・・・・・・。


最近そんなことばかり考えて、また一日が終わっていく。しかし、福島を捨てて、関東に引っ越したとしても何が変わるのだろうか。自分の人生でピークだった場所に行ったところで何が変わるというのか。どんなにノスタルジックになったところで時計の針は戻らない。少しずつ少しずつ進んでいく。あのときから今までずっとそうだ。そしてこれからも。

コロナという閉塞感が世界中を覆いつくして、鬱積した閉塞感は答えの出ない大きな課題を自分に投げかけている。

福島がフクシマになり、世界的にFukushimaとなった。そして今・・・・・・ボクらは復興という大看板の下、「各種免除」という足枷をつけられ、フクシマという檻に繋がれている。

ここを食い破る度胸はあるのか。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》