何が正解?『復興の街』
福島県大熊町は今、まさに「建設ラッシュ」だ。
原発事故から13年を経て、街に新しい鼓動が満ち満ちている。
インフラの整備。帰還事業加速。そして移住者受け入れ…。
最後のそれが真実を歪ませるマヤカシ。
原発事故で避難し、この街はひととき死んでいた。会津に逃れ、仮の街を作り、そして住民は日本全国に散っていった。そうやって生活の基盤を他に求めて、人々は生き抜いたのである。
山のふもとに芽吹いた新しい街。原発からできるだけ離れた距離にこんな衛星都市のようなものを作るとは……。
正直に言おう。私はこんな被災地復興には反対だ。
今、この街の半数以上は移住者で占められている。この街に住むことにどんなメリットがあるのか。この生まれたての街にどんな魅力が……
全国からここをかぎつけて、集まってくる……。その中には札付きのワル・活動家・その土地に居られなくなって、ここに集まってくる……。
今の大熊はもはや昔の大熊ではない。補助金・助成金目当ての渡り鳥達の宿になってしまった。
「人が集まるなら、それでいいだろ!」
そんな声がどこからか聞こえてきそうだ。そう、復興とはもはやカネモクの手段になり下がったのだ。原発事故の後、「あとはカネモクでしょ?」
自民党の石原伸晃環境大臣(当時)が言い放った一言。
2014年だっただろうか。
奇しくも彼の言ったとおりの街になってしまった。
本当の、当時の大熊町民は日本中に散っていった。もはや集まることはないのだ。無理やり復興を強調してはいるが、内実は大熊とは別のところでマネーゲームをしているだけだ。
では、何が正解だったのだろう。
大熊の真の復興とは……それはもはや現実的ではない。
当時の人々が全て戻ってくること。そして元の生活を営んでいけること。
それはもはや無理だ。では、多くはの今あるべき姿とは何なのか。
私が考える『2024年大熊町』は……
ゆっくりと殺していくこと。
2011年以前から、福島県相双地区は緩やかに人口が減り続けていた。仮に震災がなかったとしても、人口は減っていっただろう。
だから、以前の状態がそのまま2024年に戻されるなんてことは現実的ではないし震災がなかった未来でも人口は減少していた。
だから、「ゆっくりと街を殺して」ほしいのだ。
それをただ優しく見守ってほしい。街の終わりを傍らで見守ってくれるだけでいい。もはや国にはその役割しかない。無理やり偽りの街を作らなくても、大熊町はすでに死にかけていたんだ。だから、その街の終わりを健全な形で迎えさせてやってほしい。
今のようにハゲタカたちに食い荒らされる前の状態で、ゆっくりと眠らせてほしいんだ。それこそが
「大熊の復興」なんだと思う。
福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》