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復興シンドローム【2017/04/01~】㉖

何事もない日常がただただ延々と続いていく。
夜がまだ明けやらぬ闇の中、まだ復興関係の作業車がコンビニの強烈な明かりに吸い込まれていく。
「いらっしゃいませ~」
20人、30人、50人、100人……
1時間のうちに来店する客数が減ることはない。
弁当が飛ぶように売れていく……

「いつまでも、こんな生活が続くわけないよなぁ……」

休憩中の自分の口からボソッと独り言がでた。今、この地域での殿様商売は間違いなくコンビニだろう。早朝には弁当が飛ぶように売れ、夕方にはアルコールが飛ぶように売れていく。それが平日の間、ずっと続くのだ。

「お前もコンビニのオーナーになれば?」

同僚に最近言われる。

「・・・・・・どうかなぁ」


自分はこの好況がいつまでも続くとは思っていない。
いづれ原発から10キロ地点や5キロ地点にもインフラが整備されていくだろう。そうなれば20キロ周辺から、より現場に近い地域に作業員の宿舎が移っていくのは自明の理である。しかも、復興を印象付けるために、急ピッチで除染や再開発が進んでいる。もちろん潤沢な資本の裏付けがあってのことだろうが、移住の呼び込みも始まりつつあるようだ。
どんどん福島の様相が変わっていく。そして、人心も変わっていくのだろう。
相変わらずのカツカツの生活だが、冷静にこの街を俯瞰していくと、終着地点がどのようなものか、うっすら見えてくる。
日本全国から集まった作業員たちが原発事故現場の近くに宿舎を移していくにつれ、賑わっていた街の残骸が後に残るだけ。そこには老いた人々とかつて賑わっていた復興好景気の名残のようなものが過疎の街に足跡のように残るだけだろう。

どんどん人は流れていく。そして離れていくはずだ。残された人は賠償金漬けにされ、人間としての社会生活をかろうじて取り繕って、生かされているだけになる。それはマトリックスの一場面のように

「人間が培養される」

免除・給付・賠償という言葉でこの地域に縛り付けられ、植物のように福島で呼吸しているだけだろう。
自分はそうはならないのかもしれないが、こんな未来が来るってことを一体どれだけの人間が予測しているだろうか。きっと誰もいない。

そうやって早朝の病院に早朝4時から並ぶ老人ども。
9時からのパチンコ屋に並ぶ老人ども。

お前らは植物と同じなんだよ。「生かされている」ことに気が付かなきゃならないんだ。この街に繋がれている以上、人間らしい生き方はできないんだぞ!


むなしい心の叫びだ。

さて、コンビニの早朝勤務を終え、夕方の仕事に向け、眠りにつく。
昼間の残酷な街並みを見たくない自分にとって、このルーティーンは都合がよかった。見たくないものに目を向けなくていい。しかし、早朝の帰路、至る所にこの街の行きつく先が見えて辛かった。

福島県のどこかに住んでいます。 震災後、幾多の出会いと別れを繰り返しながら何とか生きています。最近、震災直後のことを文字として残しておこうと考えました。あのとき決して報道されることのなかった真実の出来事を。 愛読書《about a boy》