タイトル付けるの難しい

 これは先に断言しておくが、僕は異国の文化、自分の周辺にない文化、見知らぬ文化。そう言うものを見知った上で、有益なもの平和的なものを自分に引き込み、そして深化していくのは人間成長に有用だし、全人類がそのようにするのであれば、きっと平和で豊かな世界を作れるだろうと言う思想を持っている。(それが現実的であるかどうかは別として)

 その上で、どの文化が悪いとかいいとか言うのを、容易に判断すべきではないし、断言すべきでもないと言う理解もしている。

 と言う前提を語った上で言うのだが、「コンギョをネタにぎゃーぎゃー笑う人間の中で、一定数はテコ朴をネタにすると引く」と言う現象を見かける。
 分からない人の為に言うなら、コンギョは北朝鮮の軍歌であり、テコンダー朴は韓国のナショナリストを皮肉った風刺漫画なのだが、お世辞にもどちらも行儀の良い趣味ではない。

 オタクの趣味とは下品なモノを敢えて愛するみたいな所があるので、それ自体にどうこう言うつもりはない。
 とは言え、朝鮮系の人をネタにしたもので、こんなに温度差が違うのも面白い。

 ここで、テコ朴は韓国人を馬鹿にしているし、コンギョを歌う事はむしろポジティブな反応だと言う人も居るだろう。或いは、(軍歌とは言え)歌は平和なものであり、思想を込められた物語は刃物だと言う認識の人もいるだろう。
 ただ、僕が感じるのは"在日"とか"韓国"と言うものが程よく近くにあり、北朝鮮は遙か遠くのモノと言う認識があるのかも知れない。

 別段僕は、どちらの行儀がいいとか、社会的に正しいとか言う話をするつもりはないが、コンギョ好きが高じて北朝鮮に旅行に行って来たオタクなんて話を聞くと、少しばかり怖さを感じる。

 その資金が部分的にもミサイル開発の助力になるのだと声高に叫ぶつもりはないが、北朝鮮に対する陶酔のようなものを感じる。

 北朝鮮に対する陶酔と、北朝鮮文化に対する親和性は別だと言う話をする人も居るだろうが、一定数この境が曖昧な人がいる。

 かつて、"共産趣味"と言う共産主義の文化、或いは共産主義者の文化をネタ的に吸収するタイプの趣味が流行ったことがある。
 流行ったと言うほどじゃないとは思うが、しかしある程度そう言う人はいて、サバゲー界隈ではロシア軍やソ連軍の映画を好んで鑑賞して、ロシア軍やソ連軍の装備に身を包むなんて一派があったのは確かだ。

 そして、その共産趣味が過去のモノになったのは、当然ロシアによるウクライナ侵攻にあるのだが……ここで趣味にハマった人の一部は、完全にロシア寄りの思想になってしまったと言う話をしばしば聞く。

 コレについて詳細な調査が出来るのか出来ないのかと言えば出来ないだろうし、現時点で具体的にどのくらいの割合がそうなったのかと言うのは言えないのだけど、しかし文化的なモノからその国の思想に取り込まれると言うのは、十分にあり得る話であろう。

 現実問題として、韓国は80年代ぐらいまで日本文化の流入を意識的に排除していたし、北朝鮮は韓国のドラマを視聴すると死刑になる。中国やロシアは具体的に"有害な文化"を指定して排除している。
 実際問題、ロシアでLGBTについて声高に主張すれば逮捕されるし、中国当局による文化的な締め上げは日常茶飯事ではある。(それこそ潜在的な脅威とも思えない少数民族の文化について弾圧するようなことさえある)

 強権的な政治機構は、自分の管理下にない文化や思想を嫌う。
 それは他の独裁者を見ていてもほぼその通りだ。

 じゃぁそれに倣えと言う話ではないし、コンギョを聞けば利敵行為をするようになるとか、韓国人は総じてあんな感じだと信じ込むようになるとか言いたいわけじゃない。

 だけれど、世の中には冗談でネタにされてた、「ラッスンゴレライが原爆投下の符牒」と言う作り話を本気で信じた人間はいるし、「筑波大学は核実験をやめろ」と言う下品な冗談を本気にした人が出てきたのも記憶に新しい。

 極一部の馬鹿や精神疾患を持った人間に配慮しろって言うのか? と言われれば、部分的に正しい。
 君がその問題ある人を完璧に見極めてネタにするのであれば問題ないだろう。だが、そういううっかりした事を信じる人は、大抵の場合クリニックに通うことさえ無縁の人だし、普通の市民として生活している。何処にそういう人がいるかを判断するのは難しい。
 ブラックユーモアは信じ合える仲間内で楽しむに限ったほうが、何かとトラブルを避けられるだろう。

 そして、翻って、コンギョとテコ朴の話になるのだが、コンギョを"軍歌"として歌う人間は身近にいない。だが、うっかりすれば韓国の、或いは日本のナショナリズムとはうっかり接点を持つ可能性がある。
 人々はそれを感じるから、コンギョを笑っていながら、テコ朴に眉を顰めるのだ。

 僕はどの文化が危険だと言う話をしたいわけではない。
 しかし、思想はどういう形であれ、人間の頭の中に侵入すると言うことを意識すべきだ。

 例えば、動物の命だって大切だという真心からヴィーガンになる人がいて、その中の一部が人々に暴言を吐くようになる。
 フェミニズムだって本来的には立派な思想だが、それを悪用する人もいる。

 冒頭で有益なものや平和的なものを取り入れればと言う話を書いたが、その判断を自分の良心に照らし合わせて判断する必要がある。
 そしてその判断が苦手な人が身近にいる可能性は非常に高く、また自分こそがその一人である可能性すらある。

 思想が人を殺すのは人間が弱いからだと考える人が多い。
 だか同時に、自分は標準以上の精神的強度を兼ね備えていると信じている人も多いのだ。

 振り込め詐欺だって、散々広告を見てるだろう人でも引っかかる。
 かてて加えて、明確に人を邪悪へと引き込む思想が、たかだか詐欺師の技法程度で済むだろうか?

 今自分が活動家やテロリストではないのは、偶然それに接近する機会がなかっただけだ。
 そして、少なくない日本人が太平洋戦争に傾倒したし、赤軍テロやオウムのような事件にも身を投じた。
 そして、人間としてあるべき良心を手放し、思想を選んだのだ。

 重要なのはその背後に何があるかを意識すべきだし、自己の能力に過信しないことの二点である。

 その上で、面白おかしく供給される文化を楽しもう。

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