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運が良いとか悪いとか

 先に言っておくけれど、人生に於いて運の要素は絶対にあると思ってるけれど、じゃぁ、運の要素が絶対かと言うとそうでもない。

 配られたカードがクソでも、それでプレイしなくちゃいけないと言うのは確かだし、ポーカーがダメならバカラに行ってもいいだろう。

 それに努力で覆らない現実が存在するとしても、自分に打てる手が努力しかないのであれば、嫌でも苦しくても努力する以外の道はない。
 こればっかりは諦めるしかないんだよ。

 人間は決して平等ではないので、それはそう言うものだと諦めるしかない。
 その上で、自分がどう生きるかを考えると言うのが重要なのだ。


 さて、百人が六面ダイスを百回振ってその合計数を調べる……と言う事をやれば、大体350に落ち着くだろう。
 Excelで力業計算すれば、平均350.02、最大値387、最小値305となる。

 これを大きいか小さいかと考えるのは兎も角として、自然にはこれぐらいの振れ幅がある。

六面ダイス100人100回

 でまぁ、これで話を終わらすわけではなくて、例えば、「ある回はポイントが100倍になります」とか、「最後の値の積になります」とか、「ある回のポイントはマイナス200倍になります」とか言うのが、百回中一回ずつぐらい入ってたとしたら、グラフはもっとぐちゃぐちゃな結果となるだろう。

もう滅茶苦茶

 要は、クリティカルなタイミングで六の目を引くかどうか……と言うのは結果に大きな影響を与える。

 それが生まれついての国かも知れないし、家かもしれないし、健康や知能かもしれない。


 大体世の中は収穫逓増だ。
 小規模に仕入れて程ほどの値段で売るよりも、大規模に仕入れて安売りした方が利益が出る。
 じゃぁ、その大規模な仕入れってどうやるんだ? と言う訳だ。

 勿論、世の中はそれほど単純なことではないが、単純じゃないからこそ、さっきの100倍の回とかマイナスの回に左右されるのだ。

 どれほど聖人だろうと、自分の身内を優遇するのが世の中だし、じゃぁ、その身内に入らなかったら恩恵が巡ってくることもない。

 勿論、恩恵とか不運とかを定式化は出来ないし、どんなに金持ちでも病に倒れることや事故に遭うこともある。

 ただ、お金を持っていれば避けられる不幸なんて山ほどある。
 保険金を掛けるとか、安全な車に乗るとか、しっかりした健康診断を受けるとか。
 或いは身内がなにかやらかしても、それがお金で解決するようなものならば、それが影響することは限定的だ。
 「息子のアレコレをカネで解決する嫌な金持ち」なんてものは、物語の中の世界だけではないので。


 ただ、どう足掻いたところで、ダイスを振らなきゃいけないのだ。
 ダイスを振らないでいても、誰も褒めてくれないのだ。
 そして、人生も充実しないのだ。

 斜に構えて、世の中の不満を得意気に語った所で、貴方の人生が改善されることはないのだ。
 勿論、貴方は不幸な人なのかも知れない。不運なのかも知れない。
 でも、その事実を認めた上で、変わらないことは受け入れるしかない。

 どれほど泣き言を言ったところで、誰も可哀想とは思ってくれない。
 思っていると行って近づくのは、詐欺師ぐらいなものだ。

 なので、諦めて立つしかない。
 それしか生きる道はないのだから。

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