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ドキッとする

いつもnoteで仲良くしてくれている人たちの毎日の投稿は楽しいです。

やっぱりネットの世界でも人と人とのつながりですから、お互いをいたわるような言葉がけがあったり、励ますような気持ちが芽生えたり、そういうのを毎日感じています。

だから見た瞬間、まさかこれは「noteを今日で終わろうと思います」宣言ではないだろうか? と思うような雰囲気の文字だけの文章を見ると、ドキッとします。ちょっとだけ構えます。その悲しい文章を受け止めなくちゃいけないのかと反射的に思って構えるんだと思います。

私はたぶん、かなりの感じで寂しがりなので、ここでやり取りした方がnoteをやめるのはとても寂しいのです。

でも「やめる」宣言ではなかったと気づくとドキッがホッに変わるんです。

誰かともう話せなくなる、もう会えなくなる、もう関係が終わっちゃうってとても苦手です。

#エッセイ #note #関係 #投稿

私がnoteをやめれなくなってしまったのは、私のそういう性格も影響しているかもしれません。

誰かが去っていくのってすごく寂しいので、もし自分がやめると仲良くしてくれる誰かを寂しくさせてしまうんじゃないかと想像してしまうんです。たぶん寂しい思いをしてくれてもそれが泣くほどじゃなくて数ヶ月続くようなものでもなくて、日が経ったころに「あ、彼女、いまごろどうしてるのかな?」くらいにふと思い出してもらえるくらいの薄いものになるんだろうと現実的には想像できるので、別に私がいなくなっても何も大したことはないだろうとか思ったりもするんですが、それでもやっぱり少しの間でも寂しいなって思わせたりするのは嫌だなって思うことがあります。

noteやめるやめる詐欺は最近、すっかりなりをひそめ、なんだかnoteも日常化していてみなさんの日々のお気持ちが流れてくる投稿を当たり前のように読ませてもらっているんですが、それでも自分が書く意味とか誰に何を届けたいのかとか相変わらずほとんどよく分からず、よく分からないけどあまり突き詰めないようにだけはできている感じのこの頃です。

私は人好きなので、ここで知り合った方々とリアルな世界でも友人になりたいなんて思う気持ちがあるんですが、私自身がそうなように、文章の中での自分とリアルな世界での自分ってけっこう違うかもしれなくて、それなら文章バージョンでのお付き合いというのがイメージ通りで居心地いいんじゃないかとかも思ったりします。

このnoteの世界は、パラレルワールドみたいに、こっちのリアルの世界とは別の世界なのかもしれませんね。

今日はこちらはお天気が良さそうです。

「今日はカーディガンいる?」とか「昼は何度くらいになる?」とかどうせ私に聞いても適当な返事しか返さないのに毎朝、今日の暖かさについて子供たちに尋ねられています。寒暖の差が激しかったここ最近は「暖かいと思うよ」とまったく根拠なく窓の外の明るさだけで判断する私の言葉に子供たちは特に文句を言いませんが、「暖かい」と言って「冬並みに寒かった」日も数日あったように思います。ごめんね。それでも母はスマホで天気予報を見るのが面倒くさいのです。

みなさん、素敵な一日をお過ごしください。

いつも読んでいただいてありがとうございます。




お気持ち嬉しいです。ありがとうございます✨