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#17 送信ボタン

私はもうどうしようもなくなっている。

中山さんが好きで好きでたまらなかった2年間、中山さんが私の手を繋いでくれてからの数ヶ月、もう頭の中も体の中も中山さんで埋め尽くされていて、どこにも自分だけの時間はなくなった。

どんな瞬間も中山さんが心に浮かぶ自分にとても疲れていることに気づいているけど、どうしたら彼を考えない時間を持てるのかが分からない。

職場の上司を好きになるなんて、朝から夕方まで目の前にいる人を好きになるなんて、すごく運が悪いのかもしれない。しかもその人に奥さんがいるのが一番どうしようもない。

週に1度のデートで食事をする、帰りに一緒に手を繋いで歩く、それだけじゃ足りなくなった私はもっとを望んでしまって、少しだけ先に進んだ。家に帰ってから中山さんがまた心に溢れてしまって、何度も何度も彼に抱きしめられた温もりを思い出し、そっとキスしてくれた優しさに胸が震えた。

でも中山さんが私を手放さずに大切にしてくれて幸せだしうれしいはずなのに、彼と別れたあとに押し寄せる寂しさは、彼に片思いをしていた2年間の寂しさをはるかに超えてしまった。中山さんの視界に入るだけでうれしかったはずなのに、奥さんを大切にする彼をずるいと思う気持ちまで生まれた。

こんなに不安でこんなに苦しいのに私はこのまま中山さんとの関係を続けていけるのかを繰り返し自問する。もっと先にある中山さんと心と体が繋がる時間がもし訪れたら、私の心は壊れるんじゃないかと思ってしまう。

私があんなふうに気持ちをぶつけたあとでも、いつも通り奥さんのいる自宅に帰っていく中山さん。

私と奥さんとどっちが大切なの? どっちが好きなの?

そんなことを投げかけてしまいたくなるけど、絶対に口にしてはいけないと分かっている。それを言えばもう二度と中山さんは私を抱きしめてくれないだろう。彼が奥さんを愛しているのは分かってる。それでもいいからと彼に飛び込んだ自分のあまさに今ごろ涙したって、もう私にできることはない。中山さんから逃げてしまいたい苦しさを必死で握りつぶす。

中山さんに会えない土曜日と日曜日にも私は彼のことばかり考えてるけど、彼は奥さんと笑って過ごしてるんだろうな。私のことをどこかの瞬間に思い出してくれることってあるのかな。彼に職場で会える平日の私と彼に会えない休みの日の私は、きっと全然違う人みたいな表情をしてる。

いつも我慢してた。休みの日にラインにメッセージを送ることを。

中山さんに迷惑をかけちゃいけない、奥さんに疑われるようなことをしてはいけない。もし中山さんの奥さんに気づかれたら私はきっと捨てられる。そう思ってラインをする曜日と時間には気をつけてきた。

でもふと、もうふと、心がほんとに疲れてしまった今日みたいな日にはどうしてもラインを開いてしまう。

「会いたいです」

そんな言葉を打ってみる。送信ボタンを押せないけど、それでも打ってしまう。

送ってしまおうか。奥さんが運悪くこれを見ることなんてないはずだ。ただ私は私の切なさを土日には会えない寂しさを中山さんに気づいてほしい。

ねぇ、中山さん、来週の土曜日は私の誕生日なんだよ。会ってくれないの? 会ってほしいって言っちゃダメなの? こんな特別な日に私のそばにいてくれないの? 誕生日に一人ぼっちで泣く私より奥さんとの1日を選ぶの? ずるいよ、中山さん。誕生日だって言う勇気もないくらいあなたを好きにさせちゃって。

寂しさと苦しさと嫉妬で心の中がぐちゃぐちゃのまま、私はスッと送信ボタンを押した。


1447文字

#短編小説 #連載小説 #中山さん #誕生日 #デート #送信 #ライン

中山さんはシリーズ化しています。マガジンに整理しているのでよかったら読んでみてください。同じトップ画像で投稿されています。

続きはこちらです。

第1作目はこちらです。ここからずっと2話、3話へと続くようなリンクを貼りました。それぞれ超短編としても楽しんでいただける気もしますが、よかったら「中山さん」と「さやか」の恋を追ってみてください。

『中山さん』シリーズ以外にもいろいろ書いています。よかったら覗いてみてください。



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