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タケノコばなし

筍の季節ですね。

SNSなどの投稿で、あちこちで筍の写真やお料理が上がっていて
見るたびに羨ましい気持ちになる。
そんな私と同じように、筍が食べられない場所に住んでいて
旬の美味しいタケノコが食べたい!と思っている
海外在住の方も多いかもしれません。


竹の子族との出会い


私が生まれたのは、1979年。
この年に流行していたのが、竹の子族。


竹の子族は、野外で独特の派手な衣装でディスコサウンドに合わせて「ステップダンス」を踊るという風俗またはその参加者の総称。 1980年代前半東京都・原宿の代々木公園横に設けられた歩行者天国で、ラジカセを囲み路上で踊っていた。 

ウィキペディア

その年に起こった出来事のハイライト映像などを見ると
このカラフルな奇抜な格好をしてへんてこなステップで路上で
踊り狂っている竹の子族が必ず出てくる。

私と同級生くらいの世代の間では、竹の子族=ギャグみたいな感覚があって
時々カラフルな奇抜な格好をしている人を見ると
こっそり、竹の子族と呼んで心の中でククっと笑っていたりした。
逆に、私自身がちょっと派手な配色の洋服を着ていたときに
「えっ?今日、竹の子族?」と言われたことも然り。

しかし、こちらに来て仲良くなった一回りくらい年上の友達が
「私、竹の子族だったの」
と聞いたときには、思わず吹き出した。
元、竹の子族がこんなところにいた!という衝撃。

私が生まれた年に彼女は、原宿のホコ天でカラフルな洋服を着て
あのへんてこなステップを踊り狂っていたのだと思うと
今の彼女からは、想像もできないので尚の事おかしく感じてしまう。
でも彼女は今でも踊ったりするのが大好きな人。
その頃から素地はあったということか…
彼女と同年代の友人に、
Mちゃんて元竹の子族だったんだって!私の世代の人にはコントだよ。
と言ったら、
「私たちにとってもコントだったよ。爆」
と返ってきた。
いずれにしても人生やりたいことやったもん勝ち、
楽しんだもん勝ちである。
そこはちょっとうらやましくもあるところ。
この記事を読んだ方で元竹の子族の方がいらっしゃって
もしも気を悪くされたりしたらごめんなさい。

祖母とたけのこの思い出

夫が初めて私の祖母に会ったのは、冬の寒い日だった。
祖母の家に遊びに行くと、毎回必ず
「よく来たねぇ」と満面の笑みで出迎えてくれる祖母が大好きだった。

その日も、ピンポーンとチャイムを押してから
ガラガラと引き戸を開けて祖母の家の玄関に入り
その寒い廊下の先の引き戸を開けて居間に入ると
煌々とストーブが燃えていて、居間はとても暖かくってほっとした。

祖母は夫にもフレンドリーに接してくれて、
英語でなにか言いたかったらしいのだけれども
なぜか祖母の口から出てきたのが「ダンケシェーン」だったので
可笑しくて、みんなで笑った。

祖母の家に行くと、冬場はいつもストーブの上にお茶が入ったやかんや、
ストーブの熱で煮物を煮付けたりしていた。
この日は、ストーブの上でたけのこが煮えていた。
祖母が夫に「たけのこ食べるかい?」と聞いて
3人で一緒に食べた、あのたけのこの煮物は優しい味でコリコリで
とても美味しかった。
夫はその時初めてたけのこの煮物を食べたらしいのだけど
十数年たった今でも、「あのたけのこは本当に美味しかった」と言う。

祖母は数年前に旅立ったけれど、
色々な思い出の中のひとつに、あのときの3人で食べた
たけのこの煮物の居間の中に漂う香りや、やり取りの情景が記憶に残っている。
たけのこの季節になると、かならず思い出す優しく幸せな思い出。

たけのこの煮物、がぶりと食べたいな。
仕方がないから、今夜は缶詰のたけのこをお肉と炒めて食べよう。



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