私の髪型遍歴
私は70年代最後の年に生まれた。
父母と姉二人の三姉妹の末っ子。
当時住んでいた団地は、新築で募集していたところに入居しているので
同じような家族構成のファミリーが多かった。
私は髪の毛を、中学生になるまでずっと
同じ団地に住む母の友達の美容師に切ってもらっていた。
写真で見る限り、最初は前髪ぱっつんストレートの坊っちゃんカットからはじまり
ピアノの発表会の写真には、なぜか姉と私二人まさかのアフロ。
せっかく可愛く一張羅で着飾っているのに、頭がアフロ。
まだ幼かった私ともうひとりの姉は、知らぬ間にアフロにされていた。
一番上の姉はなぜかアフロはかかっていなかった。
その頃には物心がついていて、拒否したのかもしれない。
けれども、当時の子供がだいたいみんなそうだったように
姉も近所の子供たち同様、前髪ぱっつんの坊っちゃんカットだった。
今風にかっこよくいえば、マッシュルームカットといえるか。
当時の父の髪型を見ると、パンチパーマだった。
チンピラかよ、と思う出で立ちの父。
母曰く、美容師になりたての友達のパーマの練習に我々親子の頭が使われていたというのだ。
そうか、だから母はパーマじゃなかったんだ。自分の頭は差し出さずに子供の頭を差し出して、
ほい、これでやってみてと。父は楽天家なので気軽に引き受けていたのだろう。
そんな母の髪型は記憶にある限りずっとショートカットだった。
しかも刈り上げ。
短く刈り上げられた髪型は、怒ると鬼のように怖かった母のイメージをさらに恐ろしくした。
これが、ふんわりカールのかかったロングヘアとかであったなら、
なんとなく怖さは少しは中和されていたかもしれない。
アフロからようやく開放された私は、今度は有無をいわせず
洗うのが楽ちんだからとショートカットにされた。
でも、考えてみたらお絵かき帳(時々チラシの裏だった)に書いていた絵は
ふわふわのシフォンレースのドレスを着てティアラをつけて目がキラキラしているお姫様。
やっぱり普通に女の子になりたかった私。
高校生になり、その頃には髪を伸ばしていたので入学式はポニーテールで挑んだ。
出席番号順で私の後ろにいた子が、私に「ポニ子」とあだ名をつけた。
彼女とは30年たった今も仲良しだ。
わたしたちが高校生の頃はカリスマ美容師がブームになっていたころで
将来美容師になりたいという人も多かった。
私も美容師になりたいかも?と思い、ポニ子と私に名付けた友人の家で
美容師ごっこをしたことがあった。
覚えているのは、私が彼女の髪の毛を美容師になりきってカットしたところ
カットが終わって鏡の中に写っていた自分を見て友人が発したひとことは
「えっ、ビートルズ…」
たしかに、あればビートルズであった。
ジョンかポールかジョージかリンゴか知らないが。(みんなほぼ同じ)
私も自分の前髪をセルフカットして、手直しするうちにどんどん短くなってしまい
短すぎて前髪がまるで出っ歯かカッパみたく浮いてる状態になってしまったりして
学校でみんなに笑われて、恥ずかしい思いもした。
その後は外人みたいなゆるいパーマに憧れて同じようなパーマをかけたりしたこともあったが、悲しいかな丸顔の私だとなんか違う…。
現在は、黒髪ロングに落ち着いている。
海外組はこのスタイルの人、けっこう多い。
なぜなら、日本のように腕の良い美容師さんにカットしてもらえる環境がないから、
特に片田舎に暮らしている人は、私のように美容室難民が多いと聞く。
でもロングはお手入れもけっこう大変だし、抜け毛も気になるお年頃。
もうこの際バッサリ切りたい。
今度帰ったら、絶対バッサリショートボブにすると決めている。