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■あーちゃんとわたし■

 真っ赤な夕日が公園を照らしている。
 公園のブランコには一人の女の子が座っている。
 真っ黒な長い髪に赤いリボンがよく似合うそ子はあーちゃんだ。

「あーちゃん、あそぼ!」
「いいよ」

 誰もいない公園で、わたしとあーちゃんは暗くなるまで遊ぶ。
 それが、お母さんがパートで遅くなる日のお決まりだった。

 気弱で泣き虫なわたしは、あーちゃん以外にとても仲のいい友達というのがいなくて、いつもあーちゃんに遊んでもらっていた。

 どのくらい前かは忘れたけど、きっかけは公園で一人で遊んでいたわたしに声をかけてくれたことだったかな。
 その時から、毎週水曜日と金曜日はあーちゃんと遊んでいた。

 でも、小学校2年生の夏休み、それは突然終わりを告げた。

「ひっこし?」
「ごめんね。お父さんのお仕事の都合でT県に引っ越しすることになったの」
 お母さんが困った顔でわたしに言う。
「T県ってどこ?」
「新幹線に乗って、3時間くらいのところだよ」
「お友達には会えなくなっちゃうから、ちゃんとお別れしないとね」
「えっ……」
 お夕飯のあと、お父さんとお母さんとひっこしの話をしてからの記憶は飛び飛びだ。

 夏休みの間、お父さんとお母さんは忙しそうに家を片付けていたし、わたしはあまりじゃまにならないようにしていた。
 慌ただしく夏休みが過ぎていったけど、公園には曜日とか関係なく必ず遊びに行ったのを覚えている。

 あーちゃんは夕方になると必ず公園にいたから、遊べる日はずっといっしょに遊んでいた。
 でも、ひっこしのことは言わないといけなくて、ある日、わたしはついにあーちゃんにひっこしのことを言った。

「あーちゃん」
「なあに、さっちゃん」
「わたしね、ひっこしするんだって」
「遠くに行っちゃうの?」
「うん。新幹線で3時間かかるところに住むんだって」
「ふーん」
 あーちゃんのつまらなそうな声がいやに耳に残る。
「ひっこしはいや?」
「いやだけど、わがままいったらお父さんたち困っちゃう」
「じゃあもう遊べないね」
 あーちゃんはブランコから飛び降りると、わたしのほうを見る。
「あーちゃん?」
 真っ赤な夕日を後ろにしたあーちゃんの顔がくらくてよく見えなくて、怖くてぶるりとふるえた。
「じゃあね、ばいばい」
 つまらなそうにそう言ってあーちゃんは走って公園を出ていった。

 ひっこしの日までまだまだ時間はあったけど、その日を最後にあーちゃんとはあの公園で会うことはなかった。

 T県での生活は、以前とさほど変わらなかった。
 あーちゃんほどの仲の良い友達はできなかったけど、学校で遊ぶ友達は少ないものの作ることができて、まあまあ平穏だったように思う。

 だけど、中学の1年が終わった春休み、わたしたち家族はまたしても元住んでいた町へ戻ることになった。
「せっかく中学生にも慣れてきたのに、ごめんね」
 お父さんがとても申し訳無さそうにしていた。
 あいかわらず友達を作ることが苦手なわたしを心配してのことだった。
「しょうがないよ。お仕事の都合でしょ」
 中学でできた友達とお別れするのはさみしいけれど、あーちゃんとお別れするときほどの寂しさはない。

 それよりも、またあーちゃんに会えるかもしれない。そう考えると、心がぎゅっとなる気分になった。
「あーちゃん、元気かなあ」
「あーちゃん? そんなお友達向こうにいた?」
「うちのさきの大通りにある坂を降りたところにある公園でよくいっしょに遊んでたんだよ」
 あーちゃんの話をした途端、お母さんはむずかしい顔をした。
「公園? そんなところにあったかしら? 覚えてる?」
「いや……あの辺りは確か畑だったような……」
 お母さんとお父さんは首をかしげる。
「覚えてないの? お母さんがパートの日はよくその公園に遊びにいってたの」
「そんな危ないことしていたの? あのときってあなたまだ小さかったでしょ」
 何故か怒られた。おかしいなあ。お母さんとも行ったことある公園だし、公園に行く日はちゃんと公園に行くねって言ってたはずなのに。
「ずいぶん前の話にお説教しても仕方ないか」
「そうだね。よし、早いところ準備しちゃおう。ほら、沙代子も」
 やれやれといった顔のお母さんとお父さん。わたしはなんとなくもやっとした気持ちになりながら、気のない返事をして引っ越しの準備を始めるのだった。

 久しぶりに戻ってきた町は、記憶より小さく見えた。
 小学校に続く坂道はずいぶんと短く感じたし、学校の通りにあったお地蔵さんも前よりすごく小さく見える。
 昔住んでいた家の前を車で通り過ぎ、大通りに出る道を右に曲がる。
 この先は坂になっていて、その下に公園が……
「あれ……?」
 右に曲がった先にあったのは、お父さんの言った通り畑だった。
「やっぱり公園なんてないよねえ」
「うん。別の公園とごっちゃになってたんじゃない?」
 お母さんとお父さんの声が遠くに聞こえる。
 じゃあ、わたしが遊んでいた公園はどこにあるんだろう。

 元住んでいた一軒家には色々な都合で住めなかったみたいだけど、そこから近い場所にある普通より少し広いマンションが新しいおうちになるらしい。
 引っ越し作業はともかく、色々な手続きに付き合うことになってちょっと退屈だったけど、T県みたいに中学生が暇をつぶせるようなところもないので仕方がなかった。

 そうして始まった新しい中学校での生活は、最悪だった。

 T県はこの町よりもちょっと都会だったのがよくなかったみたい。
 クラスのリーダー格? みたいな子に何故か生意気だと目をつけられてしまい、6月も半ばをすぎる頃には地味な嫌がらせが日常となってしまった。
「はぁ……」
 泥でべったりと汚れてしまった体操着を広げてため息をついた。
 体操着が汚されるのは序の口で、上履きに画鋲が隠してあるのもまあよくある話だ。すれ違いざまに誰かが肘鉄して痛い思いをしたことももう数え切れない。
 教科書を破くとか、トイレで水をかけられるとか、そういうすごく目立ったことをしてこないあたりがなんともむかつく。
 先生にも相談したけど、のらりくらりとかわされてしまい、どうにもならなそうだった。

 体操着を泥で汚された日の夕方、お母さんにこの体操着を見せるのが嫌で夕日が落ちる坂道をゆっくりと降りていく。
 そうだ、確かこの坂を下りきった先に公園があって……
 坂を歩くスピードが少し早くなる。わたしの記憶には確かにあるあの道だ。
 坂を降りていくと、右手の歩道に古い公園の塀が見えてくる。どんどん坂を降りて、公園に入る。

 真っ赤な夕日が公園を照らす。ブランコをこぐにはちょっと大きな人影がある。
 きれいな真っ黒い長い髪に真っ赤なリボン。
「あーちゃん?」
「もしかしてさっちゃん?」

 ブランコからあーちゃんが降りる。同じ学校の制服を着た、成長したあーちゃんがそこにいた。
「あーちゃんだぁ……」
 あーちゃんの顔を見たわたしは、ぼろぼろと涙を流した。

「はいお水」
「ご、ごめん……」
 あーちゃんがくれた水を飲んで、ようやく少し落ち着いた。
 小さな子供のように泣きわめいて、いじめっ子たちの悪口を言うわたしを、あーちゃんはよしよしとなぐさめてくれた。
「助けられなくてごめんね。さっちゃん、がんばったんだね」
「仕方ないよ、いじめてくるあいつらが悪いんだもん」
 そう、何もしていないわたしを標的にしていじめてくるあいつらが悪いんだ。
「あいつら、変な病気にでもかかって学校来なくなっちゃえばいいのに……」
 あーちゃんの前で、いや、あーちゃんの前だからこそだったのかもしれない。
 わたしはあいつらに対して恨みごとをつぶやいた。つぶやいてしまった。
「そうだね。さっちゃんをいじめる奴らなんかいなくなっちゃえばいい」
 すごくつめたいあーちゃんの声が聞こえた。いままで聞いたこともない、それこそ引っ越しの話をしたときにすら聞いたことない声。
 背筋がぞわっとする。
「もう帰らなきゃ、じゃあねさっちゃん」
 あーちゃんはわたしが青ざめているのに気づいているのかいないのか。いつもの調子に戻って公園から出ていってしまう。
 取り残されたわたしは、重い腰を上げて家に戻るしかなかった。

 次の日、いじめっ子の取り巻きの一人が学校を休んだ。
 その次の日、またいじめっ子の取り巻きが休んだ。
 次の次の日も、月曜日も……
 そうしてついに、いじめっ子本人が学校に来なくなった。

 先生の話では、みんな原因不明の高熱に苦しんでいるらしい。
 いつも一緒にいる子たちだけがかかっていることでウィルスだか感染症だかのせいかもしれないから、その子達の家にはお見舞いに行かないように、って話をされた。

『さっちゃんをいじめる奴らなんかいなくなっちゃえばいい』
 そんな話を聞きながら、あーちゃんのあの冷たい声がリフレインする。
「あーちゃん……」

 いじめっ子たちが学校に来なくなって少したったころ、ようやくわたしはあの公園にやってきていた。
 あーちゃんに会うのがちょっと怖くて、どうしても公園に行く気になれなかったのだ。

 公園ではあーちゃんがベンチに座っている。
「あーちゃん……」
「さっちゃん、久しぶり。ずっとこないから心配してたんだよ?」
 あーちゃんに促されるままにわたしはあーちゃんの隣に座る。
「うん、ちょっと色々あって……」
「あいつら学校に来なくなったもんね。どう、居心地いい?」
「どうだろう、わからない」
 いじめっこたちがいなくなって嫌がらせはなくなったけど、結局クラスでは孤立したままだ。
「そっかぁ。じゃあこうしようか」
 すっと、あーちゃんが立ち上がると、公園の砂場から一匹の弱った蛾を拾ってくる。
「なに、それ。離してあげよう? 弱ってるよ」
「こいつを、北川さんだと思って見ててね」
「北川さん、って……」
 いじめっ子の取り巻きの名前だ。
「まってあーちゃん、なんでそんな」
 わたしの言葉をよそに、あーちゃんは蛾の足と羽根をを器用につまんでぐしゃぐしゃにしていく。
 そうやって最後には足元に落として踏みつけてしまった。
「はい、おしまい。すっきりした?」
「ごめん……わからない……」
 にこにこと笑うあーちゃんに、わたしはうつむいてそう謝るのがせいいっぱいだった。
 あーちゃんがその時、どんな顔でわたしを見ていたのか、それもわからない。

 その日の夜のことだった、北川さんが亡くなったという連絡網が回ってきたのは。

「高熱でおかしくなって入院していた病院の屋上から飛び降りちゃったんでしょ」
「しかも、飛び降りた場所が悪くて、ぐちゃぐちゃで……」
 お葬式の帰り道、後ろを歩いていたおばさんたちが下世話にも恐ろしい話をしていた。
 昨日、あーちゃんが潰してしまった蛾を思い出してしまい、身震いする。

 背筋が凍る思いで、わたしは夕方の坂道を急いで下る。
 昔、わたしは家からどうやってこの坂まで来ていたんだろう。
 今の住んでいるところからわたしはどうやってこの坂まで来ていたんだろう。
 そして、わたしはお葬式の会場からどうやってここまで来たんだろう。
 そんなことにようやっと思い至るが、これ以上気にしている余裕はなかった。

 公園に入ると、やっぱりあーちゃんがいつものようにブランコをこいで待っていた。

「あーちゃん!」
「さっちゃんだぁ。ねえ北川さんのお葬式だったんでしょ。北川さんどうだった?」
 あーちゃんはブランコから飛び降りて、とても機嫌よくわたしの顔を覗き込む。
「どうだったって……あーちゃんが一番よく知ってるよね?」
「なぁんだ。知ってたのか」
 あーちゃんは悪びれもせずに笑う。やっぱりあーちゃんがなにかしてこんなことになっているんだ。
「あーちゃん、もうやめよう」
「なんで? さっちゃん言ったよね。鈴木さんたちなんか学校に来なくなればいいって」
「言った! 言ったけど……」
 死んでほしいとまでは思ってなかった……
 ただちょっとしばらく、病気で苦しんで学校に来なければいいって……それだけのつもりだった。
「だって、あいつらさっちゃんのことイジメたんだよ? 死んで当然だよ!」
 ね。と、言ってあーちゃんは公園の水たまりに視線を動かす。
 水たまりの中には、一匹のハエがもがいている。
「鈴木さんみーっけ」
 あーちゃんは口が裂けそうなほどに笑いながら水たまりのハエをつまみ上げる。
「あーちゃんだめ!」
 ぱしり、とっさにあーちゃんの手を叩いてしまう。
 ハエがあーちゃんの手からこぼれ落ちて、ふらふらと何処かへ飛んでいった。
「なぁんでさっちゃんが邪魔するの?」
「もういい、もうやめよう。あのとき言ったこと取り消すから! ねえあーちゃん!」
 わたしはあーちゃんにすがりつく。これ以上わたしのせいで人の命が奪われていくのを見るのは嫌だった。
「つまんない」
 平坦な声色であーちゃんがつぶやく。
「あーちゃんごめん。こんなことさせて……」
「べつに。さっちゃんのためでもなきゃこんなお腹も膨れない命いらないし」
「本当にごめん……もうあんなこと二度と言わないし、わたしもっと強くなるから……」
「そんな必要ないよ」
 あーちゃんはわたしの方を振り向いた。
 血が滴るような真っ赤な夕日を背にしているせいで、あーちゃんがどんな顔をしているのかわからない。
 そういえば、あーちゃんはどんなかおをしていたっけ?
「あーちゃん?」
「さっちゃんはぁ、約束しちゃったから。もうずっと縺ゅd縺のものなんだよ」
「何? あーちゃんそれどういう……」
 あーちゃんが私の頬に手を触れた。もうすぐ夏なのに、とても、とても冷たい手だった。
「だからね、さっちゃん」

 いただきまぁす。

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 次のニュースです。
 本日未明、7月3日から行方不明となっていた綾辺沙代子さん14歳と思われる遺体が発見されました。
 遺体は頭部を失った状態で発見されましたが、遺体のそばに落ちていた鞄の中に入っていた生徒手帳から、遺体は綾辺さんのものであると推定されています。
 事件性の高さから警察は捜査を行方不明者捜索から殺人事件に切り替えて、未発見の頭部の捜索とともに捜査を進める方針です。

 真っ赤な夕日がおへやを赤く染めている。テレビではむずかしいニュースが流れていた。
 そんなことより早く公園に行かないと。
 わたしは家から飛び出して、公園に走る。

 公園のブランコには一人の女の子が座っている。
 真っ黒な長い髪に赤いリボンがよく似合うその子の名前はあーちゃんだ。

「あーちゃん! あそぼ!」
「いいよ」

 あーちゃんはにっこりとわたしに笑いかけてくれた。

 ー了ー

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