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「日本のレオナルド」モスクワで読んだ五井野博士の新聞記事

4月にスタッフが3人増え少し楽になりました。しかし時間は無情に過ぎるものです。
始めて1年経ったブログですが、ひとつの記事に費やすエネルギーは想像を遥かに超えていました。
前回の原稿をnoteに上げてほっとして、なんとか連休を終え、これまで長く保留にしていた事務や雑務に手を付けたらあっという間に今になってしまいました。
また、打合せが増え女将と話す機会も増えると、うまく議論がかみ合わず必要以上に時間とエネルギーが削られ、ブログの更新に関わる気力が無くなってもいました。
駒ヶ根の美しい季節の移ろいを感じるのは私達ではなくお客様なのです。

今回は、今から20年前、私がロシア旅行でモスクワ滞在中に読んだ新聞記事を紹介します。
20年前の記事ですが、今読んでも生き生きと当時の衝撃が甦ります。
それでずっとこのブログで紹介したいと思っていたのです。
この新聞記事との出会いから約2年後に私はロシアに留学したのですが、留学の経緯は(私の人生の中ではとてもドラマチックな出来事なのですが)また別の機会に書き、今回はこの記事を主題にしたいと思います。

ロシアの新聞 Тверская,13
2004年12月25日の記事「日本のレオナルド」翻訳

今回の取材に応じてくれた方はヴァン・ゴッホの絵に描かれた日本語文字が意味する真実を解読し、ガン、エイズ、糖尿病を治療する薬を発明しました。
また、幾十の哲学や芸術の論文を書き、幾百の絵を描き、幾千もの詩を作っています。
さらに、多くの情報誌を出版したり、サンクト・ペテルブルク911(民間救助機構)を共同創設したり、穀物の収穫高を上げる自然農法を考案した方です。
そして、工学、経済、外交、医学分野ではロシア、ウクライナ、アメリカ、イタリア、イギリス、ラトビア、アルメニア、モルドバでアカデミー会員に選出されています。
その方はレオナルド・ダ・ヴィンチという名ではなく、五井野正です。
先日、五井野氏は私たち「トヴェルスカヤ13」の取材を快く受けてくれました。

(記者)
五井野さん、あなたの多才ぶりは謎めいています。物理学者であり、抒情詩人であり・・・。
(五井野氏)
アジアでは歴史的には多面性は普通なのです。
ヨーロッパではいつの時代でも、一人が全く異なる分野の学問で活躍した先人たちがいます。
例えば、ピタゴラスは数学者だけでなく、哲学者としてもピタゴラス派の創立者として有名ですしね。
フランスの博識家など、芸術・学術の多岐にわたる分野で活躍したルネッサンス時代もありました。
なので、多才者の存在は普通なのです。
単純に、多才者は左脳・右脳と両方が発達していたのです。
芸術や人文科学的な分野では右脳が活性化し、自然科学的な分野では左脳が活性化していたのです。
ほら、もう多才者の万能主義の秘密が分かりましたよね。
(記者)
あなたの説明はまるで医学者のようですね・・・
(五井野氏)
おそらく、私は熟考して人生の意味や私たちの存在理由などを説明したのだと思います。
何のために私達はこの世界に来たのか。誰が個人、そして全人類の運命を決めたのか。私達の成長に何らかの目的や最終到達点はあるのか。
多分、このような事は全ての人が一度は考えるのではないでしょうか。
今日の世界で起こっている様々な出来事の理解を深めるのに、このような思索が役立っています。
(記者)
モスクワにはよく来られるのですか。
(五井野氏)
来たいと思っているほど頻繁には来ていません。
モスクワは訪問者にとって驚異的な想像力を掻き立てる偉大な街です。
あなた方の首都と私は昔からの深い関係で結ばれていると思っています。
私が長野【新潟の間違い】に住んでいた幼少の頃、ロシアで勉強したいと思っていました。
当時は物理学者や数学者になりたかったのです。文学や芸術に興味を持ったのはその後ですね。
でも、冷戦時代はロシアへの留学は不可能だったんです。
なので、ストックホルム大学に留学しました。
ロシアに行けなかったのがずっと心残りでした。
私が今モスクワに来ているのはトヴェルスカヤ通りを散策するためではなく、沢山の仕事、会談や展示会のために来ています。
1995年7月、プーシキン美術館で初めて私の絵の個展を開催しました。
歌川正国という雅号で絵を描きました。
ちょうどその頃、ロシア正教の総主教のアレクシー二世にお会いしました。
総主教はとても偉大な方で、私は強く影響を受けました。
私はロシア正教の洗礼を受け、ニコライという名を授かったのです。なので、そう呼んで頂いても構いませんよ。
1996年にはロシア国立芸術アカデミーの名誉会員にも選ばれました。
(記者)
エルミタージュ美術館でも個展を開催されましたよね。
(五井野氏)
はい、1995年9月です。
この大きな個展の他にモスクワとサンクト・ペテルブルクでゴッホの作品に関する研究論文を発表しました。
(記者)
ゴッホの絵に描かれた「漢字」についてのことですか。
(五井野氏)
はい、そうです。その時は「雨中の大橋」「花咲く梅の木」の絵ですね。
今までゴッホ研究者は装飾用の意味不明なものだと考えていましたし、日本人ですらそう思っていたのです。
例えば、ある日本の権威ある美術学者は「雨中の大橋」の絵に描いてある文字を左から右へ読んだのですが、意味が理解できなかったんですよ。
それで分析した結論として「この文字は何の意味もないもの」と認識され、それ以上の分析はされませんでした。
でも、日本人やヨーロッパ人が左から右へとテキストを読むこの順序は第二次世界大戦後の1945年以後に出来たものなのです。
では、もし右から左へ読んだらどうでしょう。
「ウチビトチョウキチ(内人長吉)」と読むことが出来ます。
これは日本語で家(うち)の人、つまりは妻である長吉という意味になります。
長吉と聞けば、日本人は男性の名と認識します。
私はゴッホが持っていた400点以上の日本の浮世絵を調査し、オランダのゴッホ国立美術館のカタログで発見したのです。
偉大な画家の作品目録(浮世絵コレクション目録)のNo.272「芸者長吉」と名付けられた絵を「鏡絵」ともいいます。
個人のコレクションとして保存されていた「タンギー爺さん」の絵の背景に「芸者長吉」は描かれていました。
ヴァン・ゴッホは1887年の同時期にこれらの絵を描いたと思います。
重要なのは、ゴッホの絵では芸者(長吉)と娼婦(シーン)を重ねているということです。
そうすると、娼婦(シーン)が長吉という男性ではないと分かります。
というのは、内人という文字は妻のことなので、ゴッホが芸者長吉と重ねた娼婦を妻と呼んだという意味になるからです。
ここに私は驚いたのです。
偉大な画家は、結婚したかった娼婦の女性を日本の芸者に見立てたということなのです。
私の推測では1882年1月ハーグでゴッホはクラシーナ・マリア・ホールニックという名の売春婦(略名、シーンという女性)と知り合いました。
ヴァン・ゴッホは1882年5月に「私達は真剣に一緒になりたい。それが出来たらどんなに素晴らしい事だろう。父が婚約を許してくれたならなあ・・・」と手紙を書きました。
でも身内から強く反対されて1887年【1883年の間違い】にシーンと別れました。
ヴァン・ゴッホの絵の「装飾」と理解されていた漢字に隠されていたエピソードのひとつです。

ゴッホ画 「雨中の大橋」
左:ゴッホ画 「タンギー爺さん」の説明図      右:豊国画 「今様押絵鏡 芸者長吉」

(記者)
おそらく終わりなく、あなたの分析が続くのでしょう。
(五井野氏)
ええ、とても面白いテーマですし、ロシアの読者にゴッホの絵に描かれた文字の真実をお伝え出来て嬉しいですから。
ロシアの方が芸術や文学、そして歴史について詳しく知っていることに驚きました。
ロシアにはたくさんの画家、学者や政治家と知り合いがおり、とても親しいですし、よく会っています。
例えば1996年には私の招待でモスクワ下院議長のウラジーミル・プラトーノフさんとモスクワ市議員のマスクビン・タルナホフさんが来日し、彼らと東京の国会議員たちが会えるよう橋渡しもしました。
また、友人で宇宙飛行士のコヴァリョノクさんやソロヴィヨフさん、そして政治家のゲンナジー・ブルブリス(当時の第一副首相)さんなども来日しました。
先日、友人のヴァレンチン・ヴァレンニコフ元帥も来日し、日本の国会議員らの前で講演をしました。
戦争が何たるかを実体験で知っている、現ロシアのシンボル的人物である将軍の話は私たちにも大変興味深かったです。
ところで、今日本の大手テレビ局とヴァレンニコフ元帥の映画を撮影しており、日本人は特に興味を持ってこの映画を観ると確信しています。
もちろん、ユーリ・ルシコフ(モスクワ)市長とも友好関係を築けて光栄です。
ルシコフ市長は素晴らしく、独創的でロシアとモスクワを愛しています。
市長は何度も来日していますが、日本でも尊敬されており、日露議会の共同議長にも就任されました。
私は2003年にモスクワの下院議会で、正式にモスクワ名誉市民賞を受賞したことを誇りに思っています。
私はモスクワ人でもあるのです。
モスクワ生誕850周年祭で、江戸時代の仮装をしてトヴェルスカヤ通りを大名行列で行進した時は爽快でした。

五井野博士とソロヴィヨフ氏、メリック博士、コヴァリョノク氏
2004年 五井野博士とヴァレンチン・ヴァレンニコフ氏(中央)
1997年 モスクワ生誕850周年祭の大名行列

(記者)
以前、モスクワの救世主キリスト大聖堂の建設に寄付されましたよね。
(五井野氏)
はい、寄付しましたよ。
何よりも、芸術作品がより多くの人にとって財産になることがとても重要なことです。
1995年にプーシキン美術館に浮世絵100点を寄贈しましたし、モスクワの学校にも500点寄贈しました。
サンクト・ペテルブルクやヤロスラブリの芸術学校にも300点以上寄贈しました。
エルミタージュ美術館には100点ほど寄贈しました。
私の寄贈品をグリコール・ルサボーリッチ氏がアルメニアのエチミアジンの神聖な宝座に受入保管されたことを嬉しく思っています。
また、2002年にはロシア国立自然科学アカデミー、国際自然社会科学アカデミーのアルメニア支局に200年以上前の日本の浮世絵を250点のコレクションの中からプレゼントしました。
(記者)
画伯とは政治の話をしない訳にはいかないですね。
「北方領土問題」は日露関係を複雑にしていますが、この問題に関しての見解をお聞かせください。
(五井野氏)
私はロシアの見解に賛同します(※この言葉は誤解のないよう、「天才五井野博士だけが知っているこの世の重大な真実」の引用を翻訳の最後に注釈します)。
相互に尽力し、二国間の文化的、科学的、経済的、そして社会的な関係を発展させていく必要があります。
そうすれば、円滑に問題も解決していき、双方に有益な道筋が見えてくるでしょう。
特に民間による外交が重要な役割を果たします。
なので、敢えて私はアルメニアの日本大使になることに同意したのです。
アルメニアと私もまた同様に身近な関係なのです。
(記者)
五井野さんが発明された癌の治療に効果のある治療薬が、アメリカで特許を取得し、デンマークで臨床実験が行われたと伺っていますがその治療薬について教えてください。
この薬はロシアの薬局の棚に並ぶのでしょうか。
(五井野氏)
本当に30年もの長い間、医療全体を含めて東洋医学の分野で真剣に医学研究に取り組んできて、コペンハーゲン大学病院で実験を行うことが出来ました。
デンマークで改良して完成させた私の薬(JP)【GOP(五井野プロシジャー)の間違い】は癌や糖尿病に効く作用があり、血中コレステロールの値を下げる作用があることが証明されました。
これは2001年10月10日ニューヨークの国際学会で発表しました。
そして、2004年6月8日に私の薬剤はアメリカで特許を取得し、今ヨーロッパの数か国と中国で特許授与の話が進んでいます。
私はこの薬をロシアに無償で提供する用意ができています。
新しい薬は他のものとどう違うのか。
私の薬は自然薬を基に作られており、がんセンターの患者のガンの活性化を抑えるだけでなく、血液中の糖の値を下げる働きもあります。
チェルノブイリ原発事故の悲劇がこの薬を開発する私を駆り立てました。
チェルノブイリの原発事故後にキエフに行き、小児病院で活動を始めました。
そして、ロシアで抗白血病作用の特許を取得しました。
モスクワの病院ではまだ臨床試験は行われていませんが、ヤロスラブリ総合病院とがんセンターでは有望な結果が得られました。
もう一度お伝えします。
私はこの薬をロシア国民に、プーチン大統領に無償で提供したいのです。
(記者)
あなたは真の日本人のようです。
おそらく短歌を作ることが出来ますよね。
モスクワについて短歌を即興で作ってもらえませんか。
(五井野氏)
窓越しに かすみの如き ひかり見ゆ 冬のモスクワ 春を望まん
(記者)
読者に何を願いますか。
(五井野氏)
平和と成長です。
そしてもうひとつ、ロシアという国は素晴らしく、大国であるといことを自覚して頂きたい。
プーチン大統領が国際舞台で失っていた立場を今取り戻し始めたことが、私はとても嬉しいのです。
エネルギーの採掘と運搬システムなどの収益性の高い産業を国内に委ねようとしている点で大統領は正しき一歩を踏み出しています。
ロシアの政治は崇高で、世界中で尊敬の眼差しで見られるでしょう。
この素晴らしき世界で、全ロシア国民とモスクワ市民に幸せと喜びを!

(※注釈)

当時危篤状態にあったエリツイン大統領の心臓病を直したのもこのGOPで、その間の経緯は『ザ・フナイ』にも書きましたが、それがきっかけで私が提案した北方領土の四島返還に関する平和条約10項目が、他の提案書の中で「一番最高で実現性が高い」とエリツイン大統領がまず一番に支持してくれたのです。
そこで私を通して、北方四島を返還するという話になり、私の提案書をクラスノヤルスクの船の上で橋本首相に見せ、返還と同時に2000年に日ロの平和条約を結ぼうとしたのです。
しかし、日本側は(一部省略)逆提案を出し、その案は国境線を画定してくれれば島の返還はいつでも良いと言い、2000年までに2000億円のお金を無償で融資するという話になり、伊豆の川奈会談となったのです。

「天才五井野博士だけが知っているこの世の重大な真実」小笠原英晃著 
ヒカルランドp146~148

北方四島問題の経緯は、株式会社青いポスト二十一のホームページ「五井野正博士の世界」に詳しく記載されています。

この新聞記事を初めて読んだ時、私はとても気持ちが揺さぶられました。
ロシアは医学や政治ばかりではなく、芸術や文学といった文化にとても深い理解と造詣がある。
ロシアの新聞は伝えたいことをストレートに伝えており、表現も情緒的で豊かで堂々として、私は内から強い希望のようなものが湧き上がったのです。
文化や芸術は深く分かり合えるのだと。
博士は文化や芸術で他国と強い繋がりをもっているのだと。
このような新聞を読めるロシアという国、ロシア人が羨ましいと思いました。
そして約2年後に私はロシアに留学することになるのです。
ロシアは現在ウクライナを盾にしたアメリカ連合軍と戦争していますが、新聞記事のインタビューの最後に博士が読者に願った「平和と成長」という言葉が強いメッセージとして、今の私には深く胸に染みます。

こちらにも五井野博士を取材したロシアの新聞記事が掲載されています。


ウィッピータイムス9号

最後に、今回も向日葵の友人から貴重な写真資料やアドバイスを頂きました。いつも、ありがとうございます。

Тверская,13 2004年12月25日の記事「日本のレオナルド」

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