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韓国と私⑦韓国における詩、そして詩人


0.noteはじめました こんにちは🌹7日めです お気に入りの詩

 韓国からの留学生の方をはじめ、私が韓国の方と韓国文化に初めて出会った頃に驚いたことの一つが、韓国では詩が人気で韓国人は詩が好き、ということでした。お気に入りの詩を、咄嗟に暗誦してご紹介してくださる方にも多く出会いました。それも、詩人や作家、国語の先生など、特に、文学的な環境で過ごされている方ではなくて、学生や社会人といった市井の方々が、です。
 私の個人的な感想ですが、日本では、詩が、そこまで浸透している印象はありません。著名な詩人の方のお名前や、有名な詩集の題名は知っていたとしても、その詩の全篇を諳んじて披露するほど愛好している方は稀少な存在ですし、詩を深く愛する方がいらっしゃったとしても、もしかしたら、控えめにしていらして、お気に入りの詩を口ずさむことさえ遠慮されているのかもしれません。
 その点で、韓国では、詩はもっと身近でオープンな存在だと感じました。韓国のように詩に親しめたら、日本の詩の受容の仕方も変わるのでは?と思うのですが、そのように詩を愛好する韓国の文化は、韓国の映画・ドラマをはじめとして、韓国産の文化コンテンツに数多く見られます。
 たとえば、KPOP、バンタンのコンテンツ、Run BTS。高校(その名も防弾高校)の文学国語の授業を想定した場面で、ご自身のお父様が文学国語の先生であるというJ-HOPEがセンチメンタルな文学青年という人物設定で、女子の転校生に扮したSUGAに「僕はとても詩が好きなんだ。君に大好きな詩を読んであげるよ」と読み上げた詩は、2008年の韓国現代詩100周年記念調査で「韓国人が好きな詩」に選ばれたキム・チュンス作の詩『花』序詩でした。J-HOPE独自の発声による朗読も至福ですし、SUGA扮するミン・ユンジさんもその美貌と脚線美で本当にお美しいばかり。その他、韓国では、キム・ソウォル作『つつじの花』やユン・ドンジュ作『空と風と星と詩』序詩など、別離や恋愛の心情を高潔に描いて、洗練された詩情の表現が高く評価され、人気を博しているようです。

1.韓国と私⑦ 国文科大学生の詩作

 そして、詩といえば、特筆すべきは、ぺ・ヨンジュン氏主演の韓国ドラマ『愛の挨拶』における詩の風景です。
 未だ、1994年、1995年に制作された韓国ドラマ『愛の挨拶』の時点に佇んでおりますが、少しずつ2024年の現在に追いつきたいと思っていますので、遅々としていて恐縮ですが、スローでも宜しければ、おつきあいいただける方はゆっくりお読みいただければ幸いです。
 このドラマ『愛の挨拶』の劇中で国文科の大学生を演じるヨン様ことヨンミンは文学研究会に属し、その勉強会の品評会で自作の詩「時間の青い沈黙」を発表します。彼は「自分の日記を見せることには躊躇するけど、詩は前から書きたかったんだ」と創作意欲溢れる気持ちを吐露してから、自作の詩のプリントアウトを研究会の各メンバーに配布し朗読しますが(当時まだ新人俳優として初々しいヨン様が朗読する落ち着いた低音の美声が素敵です)、リーダー格の大学生、女性のジョンウンからは「難解すぎるし、自分の世界に浸りすぎ。詩はわかり易いほうが読者は共感できる」と指摘されますが、彼女とは逆に、彼の詩を激賞する別の女性の大学生も現れ、意見は大きく2つにわかれました。
 ここに、韓国の方々の詩への愛好がよくあらわれていますし、何より、ヨンミンたち国文科の大学一年生むけの「非詩的言語」や「詩史的意義」をテーマに講義された科目「現代詩論B」の学年末試験の問題は、「詩における逆説とアイロニーの違いを述べよ」というもの。B4縦で横罫線の答案用紙は、日本の大学のものと似ていて、昔、こういう体裁で記述式の試験を慶應大や千葉大で受けたなあ、と親近感を持ちました。
 印象深いのは、国文科の学生ながら司法試験を目指そうとしていた同級生の「だから文学で食っていくのは厭なんだ」という台詞。確かに、文学や文学者といえば、売れない詩人や作家として、最後は野垂れ死にするイメージが含まれることもよくわかります。

2.韓国と私⑦ A remedy, a melody, memory

 前回、BTSの「Jamis vu」に触れましたが、その曲の中に、A remedy, a melody, …memory、と韻を踏んでいる歌詞があります。
 文学や詩、といえば、この3つの単語が現す要素を含むことが多く、韓国ドラマ『愛の挨拶』でも、傷ついた友人を励ますためにサプライズで豚足の料理を用意して寒い晩の食卓を男性3人で囲んだり、別れた恋人との思い出があるクイーンの曲を聴くヨンミンの姉は、自分と同じように好きな人を諦めた弟ヨンミンに「早く忘れて、何かはわからないけど」と声をかけ、ヨンミンは姉に「いつかはすべてが過去のものになるんだって。思い出はありあわせの今と昔だ」と、詩作をしている人特有ならではのさりげない激励をするのです。さらに、劇中では詩を愛好する韓国人らしく、薬や治療としての言葉と音楽、そこに寄り添う思い出が並走するように描かれます。それは、励ましの言葉だったり、カラオケで歌うトロットだったり(ヨン様のアカペラの歌声は大変貴重です)、日本の私たちも同じように受容していたアメリカの音楽、たとえばヨンミンの同級生がカラオケボックスで熱唱するホイットニー・ヒューストンの「Greatest Love of All」などがありました。

3.韓国と私⑦ 男らしさ、女らしさ、アメリカ文化の受容


 1994、5年当時の韓国のソウルを舞台にしたこの作品では、夥しいほど、アメリカを中心とする欧米文化の受容が描かれ、その音楽や映画、人物像のロールモデルとして、いかに韓国がアメリカ発の価値観を追随していたか、ということが今になって理解できます(日本でも当時同じように米国文化消費の印象がありました)。特に、つくられた男性らしさについては、メディアや映画で流布する可視化された姿をふんだんに受容する若者たちの姿が強調されています。本作『愛の挨拶』に登場する国文科大学生四人の男性のうち、主役で詩作もする文学青年の主人公ヨンミンともう一人は農村出身の素朴な文学青年ですが、もう一人はひたすら女性にモテたいと願う大学生の男性で、1994年、1995年当時韓国でも人気を博していたアメリカ映画、BTSジンくんもお好きな『プリティ・ウーマン』をはじめ、『ボディガード』『アウト・オブ・アフリカ』など、主演俳優のリチャード・ギアやケヴィン・コスナー、ロバート・レッドフォードなどを参考に外見や仕草を真似てみようと奮闘する姿が滑稽に描かれます。それは、女性の場合も同じで、いわゆる「ボーイッシュ」にしている女性に「フェミニン」を追求している女性が揶揄して対立する場面も登場。このように、既成概念のつくられた男らしさや女らしさに影響されず、外見など気にしない大学生と、容貌の優劣に敏感で、その比較に一喜一憂する大学生とを、男女の性別を問わず対比的に描写する本ドラマでは、米国文化に影響される若者の姿を時に等身大に、そして時折批判的なかたちで表現されています。

4.韓国と私⑦ 韓国の大学一年生の四季を疑似体験すること


 「ついこのあいだ入学式と思ったら、もう学年末試験なんて」と白い息を吐きながら呟く大学生たちは、厳寒のキャンパス内を分厚い本を抱えて歩きながら図書館へ行ったり、研究会の部室で議論をしたり、学食で昼食を食べたり、教授の研究室で校正のアルバイトをしたり試験を受けたりしながら、一年生の学年末を迎えます。大学の外では、高校生の家庭教師のアルバイトをしたり、試験や研究会の打ち上げで居酒屋に行ったり、サークルの皆で日帰り登山をしたり、スケート場や遊園地へ遊びに行ったりするうち、サークル内でカップルが出来て、2人でアイスホッケーの試合を観に行き、皆の飲み会に遅れてくる、という、サークル内恋愛の様子も描かれます。それは、まるで視聴者も一緒に大学一年生の四季を疑似体験しているような感覚で、当時、これから大学へ進学しようとしている人や、文学部国文科の大学生活ってどんなふうなのだろう、と思っている人には、興味深いものだったのではないかと想像します。もちろん、当時の大学生たちは朴訥として、かなり態度も真面目で授業のノートを借りることにも強い抵抗があり…今では様変わりをした部分もあるでしょうけれど、まだ、どことなく似ているところもあるかもしれない、何か残っているところがあるかもしれない、と視聴するのも一考です。

5. 韓国と私⑦ 日本の詩人と韓国の詩人


 ふんだんに流入してくるアメリカのコンテンツを消費しながらも、その一方で、国文科の学生たちは自国の文化をも維持しつつ、それを混淆させていく土壌が垣間見える本作品。現在流通している韓国産コンテンツの独自性と創造性、KPOPの世界的成功の源が感じられるのが、やはり詩への愛好、詩情を大切にする国民性にあるのではないか、と個人的な感想を持ちます。 
 BTSのリーダー、RMは優れた詩人でもありますが、最近発表されたアメリカの卓越した女性ラッパーMegan Thee Stallion の新曲「Neva Play(feat.RM)」に、第一線のヒップホップの楽曲に参加しています。
 今や、旋律とラップにのせた韓国の詩情が世界の音楽市場で人気ですが、時代を遡る事1976年の日本で、日本の優れた詩人である茨木のり子氏がハングルの勉強を始めました。彼女は前年に夫を亡くし、何か新しい言語を学びたいと思い、最も近い隣国の言語を学び始めたそうです。その後30年に渡る韓国の言葉と文化への尊敬の念は著書『ハングルへの旅』(朝日新聞社、1986年)に詳しく書かれていますし、自ら選んだ12人の韓国詩人の作品62編を日本語に翻訳した『韓国現代詩選』(花神社、1990年)が刊行されています。ハングルから日本語に翻訳する際、深い親交のあった韓国の詩友ホン・ユンスクさんとの書簡に綴られた「できることならこの美しい詩をよい日本語で掲載し、韓国詩の高い水準をたくさんの人に知らせたいと考えています」の一文を拝読しますと、その高い志を知ることができます。現在では、茨木のり子氏の有名な詩集『自分の感受性くらい』(花神社、1977年)『倚りかからず』(筑摩書房、1999年)も韓国で翻訳され、ソウルでは朗読会も催されているそう。日韓の詩の交流を鑑みつつ、茨木のり子氏の翻訳で読むユン・ドンジュ氏の詩もまた格別です。韓国における詩と詩人の言葉は、単に文学の領域に留まらず、KPOPをはじめ韓国映画ドラマなどの韓国産のコンテンツを通じていつも清新な表現として、私の心に溶け込んでくるのです。そう、たえず、飛び込んできてくれるような気がします。
(韓国と私⑧に続く)



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