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鍼灸師になったわけ

よく人に聞かれることになぜ鍼灸師になったのか?と聞かれます。

今では、鍼灸師という職業も市民権を得たという気がしていますが、資格取得した30年前にはそれほど世間に多い職業じゃなかったのだろうと思います。

医療職でありながら西洋医学を選択しない、周辺医療どころか病院医療にも入れないだろうと思われる鍼灸医療です。

それを選択するのは不思議なことだと思われるのだろうと思います。

確かに、そう思いますし学校に入った当時にはこの鍼灸を職業として選択することはそれほど考えていなかったのだと思いますので、同期で今活躍している鍼灸同期生とはそもそもが違ったのだろうと思っています。

ここをずっと読んでいる方はお分かりになっていることだと思いますが、自分の持病である心臓の疾病をなんとかしたかったということだったのです。

当時の医学技術ではどうにもならなく、西洋医学的にはやりようがなかった心臓の疾病を、東洋医学でならあるいは?と思ったのが最初のきっかけでした。

結局は日本の学校では内科的な疾患に踏み込むことはなく、またそれを教える事ができる鍼灸教員もいなかったので、上海に行く事にまでなったというわけなんです。

上海ではもちろん内科的な疾患に積極的に鍼灸治療が行われていましたし、漢方薬をつかった点滴なども行われて驚愕でした。

鍼灸師(あちらでは中医師という資格しかありません)という職業がだれでも中国人ならしってる職業でしたし、中医師は注射もしていましたし、診断書も書いていましたし血液検査やレントゲン検査の写真を見ながら鍼灸治療を今後どう行うかの検討もしていました。

まったく日本の鍼灸の置かれ方と違う現実に大きなショックを受けていました。

日本の鍼灸師が病院勤務していたとしても医師と討論を重ねて治療の方向性を決めるという事はありません。

医師の処方があり、それによって鍼灸を行うというスタイルですので、保険医療の指揮官はあくまで西洋医学医師です。

それを中国人の中医師に話をすると、日本ななぜ鍼灸を勉強していない西洋医学の医師の同意が必要だったり、処方をすることになっているのだ?

不思議じゃないか?

と聞かれます。

その通りで日本の医療は矛盾だらけなんです。

話しはそれましたが鍼灸師になった理由は僕の疾病が理由ではありました。


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