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チラシ配り

母は70歳を過ぎてからうちを辞めたのですが、それまでずっと働いていました。

おそらく75歳くらいまででしょうか。

逆算すると、母は56~7歳くらいの頃からうちで働いていたことになります。

その間ずっとではありません。スタッフが辞めたり少し人がいなくなった時にきてもらったりを繰り返すうちに日勤の勤務のようにきてもらったのです。

親子で働くということは簡単なようで難しい問題があります。

上下になかなかなれないからです。

親子関係では母がもちろん上です。しかし、仕事ではこちらが。そういう思いがそのころには常にありました。

始めた頃には何度かぶつかり、母と言い合いになったこともありました。

開業当初に印刷屋さんにチラシを頼みにいきました。僕は500枚くらいをお願いするつもりでしたが、チラシ屋さんは5000枚からじゃないと作れないというような事をいいました。

後で気が付くのですが、そんなわけないのです。何枚でも作れたはずなんですが、きっとだまされたのでしょう。

5000枚以上の印刷をということで、1万枚くらい印刷をして、数十万円かかりました。

折り込み広告を一度すると20万近くかかりましたが、一回に300枚とか500枚とかですから、1万枚って途方もないお金を使わないとチラシをはけない数字でした。

それで、毎日チラシを自分の足で配布することにしました。

毎日、50枚~100枚。これだけで2時間~3時間かかるのです。

母はそれをみて、私がやってあげるからあんたは、仕事に専念しなさいと言ってきました。

それから母はしばらくの間、午前中に一人で外で家を一軒一軒配っていたようです。

僕も仕事終わった後に配布は続けていました。

ある日、円山公園の地下鉄出口のところで母がもう19時で真っ暗の中、チラシを配っている姿を見たのです。

車の中からですが、信号待ちで止まり、そこからしばらく動けないでいました。

まだ4月とは言え、夜は寒く手袋もなしで、チラシを一枚一枚配っていたのです。僕は自分が恥ずかしくていったい僕が経営でとか、なにを考えていたんだろう。なにが上下なんだろうと思ったものです。

自分が恥ずかしいと本気で思ったのはこの時が始めてだったかもしれません。

それから母は半年くらいの間、雨の日以外は、夜18時くらいに1時間くらいはチラシを配布していたようでした。

母の大きさを知った話でした。


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