早朝朝3時
昨日の労基の指導のショックなのかどうかわかりませんが、あまりゆっくり寝れない日を過ごしました。
夜は22時くらいに寝たのですが、3時くらいに起きてしまい、まあ5時間は寝たからいいかと今日は3時から起きていました。
学生時代、夜に勉強をしていると毎回、寝てしまうという自分の性がいやで、朝型に変えた時期があります。
その時は3時に起床して勉強していました。
当時は9時に寝ていましたので、6時間は寝ていました。
高校2年の後半あたりから大学卒業して次の専門学校、その次の上海の大学と修行機関は相当にありましたので、その間はずっと3時起きです。
考えてみると、小学生の時も新聞配達をしていました。朝5時には新聞を配り始めるので、4時には起きて準備していましたので、もともと朝早く起きることは普通だったのかもしれません。
昔はご近所に鶏を飼ってる方がいらして、コケコッコーと鳴くのです。
一番鳥というやつですが、今はめったに聞くこともなくなりました。
都会では仕方ありません。
朝型の勉強に変えて、僕自身は成績が伸びたと思っています。
というのも、2年までは理系でしたので、文系科目はからきしでした
そこから、最終的には国立に入るくらいまでの学力をつけることになったので朝型の体質はいいことだと思っています。
ただし、夜の友達などの交友関係はまったくできなくなっていました。
小学生のころの新聞配達も自分で好きでやったわけではありません。
おこずかい制度では、父の方針でなかったので自分で稼いでノートでもえんぽつでも買う必要があったのです。
母はこっそり500円をくれたり、1000円くれたりしたことは実はありましたが、それはあくまで臨時収入。
学用品は自分で稼ぐという父の掟は、新聞配達をするしかありませんでした。
朝早くに起きて、新聞を配るというのはきついですが慣れるとそうでもありません。
朝に出会う人達もいるのです。
同じ新聞配達をしてる人たちや、朝に仕事に出る人。
牛乳配達のおじさんや、庭掃除を毎日するおばさんは毎日みかけます。
そのたびにおはよう!と言ってくれて朝の交流ができるようになっていくのです。
今日は早朝3時に起きて子供のころの話を思い出していました。
出会った人達はもうおそらく亡くなっている人もいるでしょうが、どうしてるかなとたまに思い出されます。
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