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【私の思う介護職】

介護の仕事を始めて5年目になります。やっと自分の仕事に自信を持つことができるようになりました。

軽い気持ち

20歳のときに成り行きで介護の仕事を始めた。
福祉系の学校に行っていたわけでもないため、介護の知識はゼロ。
入社前に初任者研修の資格が必要で取得はしたけど、ただ暗記しただけで
知識として何も身についていなかった。
ただ、人の役に立つ仕事ができればなぁと軽々しい気持ちでこの仕事に触れた。

自信が身につかない

一年が経ったとき、ようやく仕事の流れを掴むことができた。
利用者様とも上手に関わることができるようになり、周りの職員からも少しずつ認められるようになった。
だけど、ずっと自信が持てなかった。
介護に正解などないけれど、それでも何か違和感があって、このままでいいのかなと不安だった。
フロアリーダーに相談しても「いずれわかるときが来る」と言われてもどかしい気持ちだった。

父親から教わった違和感

介護を初めて2年目にさしかかるとき、父親が末期ガンで余命宣告を受けた。医師からは「なるべく安静に、無理に体を動かさないように」との指示があった。父の希望で家で看取りをすることになった。
あの時の父の状態としては、歩行状態もかなり不安定でトイレに行くのも困難な状態であった。本来ならオムツに移行してもおかしくなかったが、どうしてもトイレに行きたいという要望があったため、ポータブルトイレをベットの隣に置いていた。しかし、父は今まで使っていた家のトイレに行こうとする。
身体的にもなるべく体力を消耗しないよう言われていたため、私は毎回
Pトイレを使うよう強く促した。そのときの父親はどこか悲しそうな、悔しそうななんとも言えない表情をしていた。

父が亡くなり、今までの施設から別の施設へ転職した。
転職理由は、父の看取り介護を終えて、もっと介護を身を持って勉強する必要があると思ったから。

それから新たにいくつか介護施設での面接を受けた。
そのとき、「あなたが介護をする上で一番大切にしていることは何ですか」と問われた。
私はいつも決まって「ご利用者様に寄り添うことです。」と応えた。
「寄り添うとは具体的には?」と聞かれる。
面接なのでとりあえず体験談など話して繋いだが
心の中では「わからない」だった。寄り添うって何だろう。
これが私にとっての違和感なのかなと気づいた。

運命の出会い

転職先で素敵な先輩に出会った。介護歴11年のベテランの方。
いつも笑顔で優しくて、体を痛めないような介護技術や、効率的な仕事の回し方など様々に色々なことを教えてくださった。

夕食時、食事が半量も進まないご利用者様がいらっしゃった。
私は無意識に「全量食べさせないといけない」と思っていた。
しかし先輩は「無理に食べてもらおうと思わなくていいからね」と言った。
「僕たちだって健康ではあるけど、気分的に食べたくないときだってあるでしょう?食べたくないっていうのもその人の意思だから。」
その言葉を聞いてハッとした。

ずっと抱えていた違和感が解けていくのを、心で感じた。
私は相手の意思を聴いていただろうか。
声だけを、言葉だけを、聞いていたのではないか。

もし自分が相手の立場だったら、
食べたくもないのに食べないといけない。
それは、辛いし耐えられない。

私は今まで介護の仕方を間違えていたのかもしれない。そう思っていたとき、先輩は続けて言葉をかけた。
「もちろん僕の考えとは反対に、職員の中には全量食べてもらいたいって言う人もいるよ。確かに間違いではないんだ。その人の健康のことを考えて言っているからね。」
「介護士によって色々な介護の仕方がある。良いところも悪いところもあるけど、どこを大事に切り取って介護をするかはその人自身。
どれを選んでもそれは間違いじゃない。
だから、自信を持って○○さん(筆者)の思う介護をやっていいからね」

先輩のその言葉を聴いて、
自分がどんな介護をしたいのか日々考えるようになった。

自己の確立

そして新卒の頃から5年が経った今。
ようやく私の思う介護が見えてきて、できるようになった。
私が選んだ介護は、
相手の意思を大切にすること。相手の立場になって介護をすること。

具体例を挙げると・・・
最近「死にたい」というお言葉をご利用者様からよく聞く。
前は「そんなこと言わないでください」と否定的な言葉をかけていた。そのとき返ってくる言葉は「ありがとう」じゃない。
「あんたにはわからない」「こんなの生きていたって仕方ないでしょ」
その繰り返しだった。

だけど、今は
「そうですよね。何十年もお体を使い続けたら、体中痛いし辛いし。死にたくもなりますよね。あともう少しですからね。」と相手の「死にたい」の言葉に寄り添っている。
もちろん、死を助長しているわけではない。
これが正しい言葉がけだとも思わない。
だけど、否定や引き留めるというのも私には違和感に思う。
何十年と生きて、身体が不自由になって、できることが限られてきたら、死にたいと思うのは自然なこと。私もきっと相手の立場になったらそう思う。

生きていてほしい。
だけどそれは私の願いで、相手の望みとは違う。
相手が生きるのが苦しいと思うのなら、
その苦しさをわかり合える存在に私はなりたい。
若すぎて完全に理解することは到底できないけれど、
ほんの少しはわかるから。

どんなにマイナスな言葉も、それも大事な相手の意思。
否定することも必要なときはもちろんある。
それでもまずは聴いて、その言葉に寄り添う。

これが私の思う介護職です。









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