初めて高山病になった夜
題の通り、今回は初めて高山病になった時のことについて綴りたい。
小娘は大学3年生の夏に、両親とハワイを訪れた。私は夏の長期休みを有意義に過ごすために、両親は日々の仕事の疲れを癒しに。
ハワイと言っても、たくさんの島々からなるこの地域。今回私たちが訪れたのは2つの島。
ハワイの中でも一番大きい島、通称ビックアイランドと呼ばれる、ハワイ島。そして邦人観光客が行く王道のオアフ島。
ハワイ島>オアフ島
小娘一家は、オアフ島の観光地化した喧騒よりも、ハワイ島の自然豊かで閑静な面持ちが気に入った。
そこで、参加したあるツアーが小娘の心に残っている。それが『マウナケア山サンセット星空ツアー』だ。
マウナケア山はハワイ諸島で最も高い山である。山頂はなんと標高4205mで、日本一高い富士山よりも高い山である。
そしてマウナケア山は、世界11ヶ国の研究機関が集まる天文台が設置されており、夜は星がよく見える場所なのである。
夕暮れ前にツアー参加者の皆さんとハイエースに乗り込み、マウナケア山頂を目指した。天文台が山頂にあるため、山頂までは車で行くことができる。小娘は三半規管がとても弱い上に、匂いにとても敏感なため、乗り物酔いがとても激しい。小学生の時は、新幹線で酔ったこともある。そんなわけで、ハイエースの中でも、酔わないように眠りについた。
夜はとても冷え込むため、ツアー会社が用意してくれたオレンジ色の囚人服のようなジャケットを上下着用して向かう。(ごめんなさい。)
途中、身体を慣らすために中継ポイントで休憩を挟み、そこで早めの夜ご飯を頂いた。日本人用のツアーのため、夕ご飯は和食のお弁当だった。可愛らしいおにぎりやお漬物、お惣菜が並んだコンパクトなものだった。
その時、小娘は自分の身体の異変に気づくことができなかった。両親とそのお弁当を食べていた時、完食はしたものの、小娘はそのお弁当が美味しく感じられなかった。変な味がしたのだ。両親は普通に食べていたため、お弁当が悪くなっているということはなく、小娘自身の問題だった。味覚の変化、食欲不振。高山病の症状の一種だ。
その時は何とも思わず、そのまままたバスに乗り込み、山頂までまた一眠りついた。その後、目覚めると、私たちは雲の上にいた。
この美しい景色。
今まで見たサンセットの中で一番綺麗だった。
日が落ちるにつれて、気温はどんどん下がっていき、温かい色合いの景色がだんだんと暗くなっていく。
ゆっくりこの景色を堪能したいのに、空の景色はどんどん移り変わっていき、あっという間に夜になってしまった。
ツアーガイド兼ドライバーの方が、レーザーポインターを使って、一つ一つ星の説明をしてくれた。レザーが天高くどこまでも伸びていき、星を差す。いつか私のような一般人も、別の惑星に行けるようになるのだろうか。そんなことを思いながら、寒空の下思いに耽っていた。
ツアーガイド兼ドライバーさんが、美しい家族写真を撮ってくれた。小娘にとって最高の思い出となった。この写真は今でも宝物だ。
その後、しばらくすると、小娘の身体にいよいよ異変が出てきた。激しい目眩と気持ち悪さが襲い、立っているのが辛くなってきた。このままでは、先ほどのお弁当をマーライオンしてしまう。そんな衝動に駆られ、もう眠るしかないと、そう思った。
ハイエースにいち早く戻り、父の膝を枕にして横たわり、深い眠りについた。ツアーの中でも最年少だったであろう、小娘がダウンするとは全くお恥ずかしい話だ。両親も少し驚いていた。「まさか高山病になるとはね。ちょっとショックだったな。」と父親に言われた時は、小娘自信もまさか自分がこの程度で体調不良になるとは思ってなかったので、正直ショックだった。やはり、山は舐めたらあかん。
しかし、あの高山病と戦いながら見た景色は一生の思い出である。
将来は、ペルーのマチュピチュ遺跡や、アフリカのキリマンジャロ、インドやパキスタンの山岳地帯を旅したいと思っているので、気圧に負けない体づくりをしようと誓いました。
山に行く時は入念な準備を!
写真はオアフ島でステイしたホテルからの眺望📷
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