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じぃじがそこにいる。

今回は小娘の世にも奇妙な物語をシェアしたい。

世にはいろんなおじいちゃんがいる。
みなさんのおじいちゃんはどんなおじいちゃんですか?

ちびまる子ちゃんの友蔵さんのようなお茶目なおじいちゃん?耳をすませばの西司郎さんのような温かく包容力のあるおじいさん?それともクリスマスキャロルのスクルージのような無愛想で無口なおじいちゃん?

小娘は物心つく前に、祖父を亡くしている。
だから『おじいちゃん』がどういう存在なのかを知る由もない。ただ、両親や祖母から聞く限り、好き嫌いがハッキリして、我が道をゆくおじいちゃんだったのかなと思う。

両親は、小娘が産まれた後、祖父母に私を会わせに連れて行ってくれた。まだ人見知りをする前は、小娘はおじいちゃんが大好きだったようで、いつも抱っこしてもらっていたらしい。

おじいちゃんがトイレなどで席を立ち、小娘を誰かに渡そうとするとすぐ泣き、おじいちゃんの元に戻ると泣き止んだのだと、母親から聞いたことがある。

そんなおじいちゃんは、小娘が2.3歳の頃に亡くなった。まだ小娘には『死』というものが理解できない年頃だった。

ただ、今でも少し、当時参列した葬儀の記憶がうっすらと残っている。これが記憶なのか、小娘が作り上げた想像なのかはわからないが、これは記憶なのではないかなと思う。

不謹慎にも、小娘は葬儀中、笑っていた。
何が何だかわからない。火葬場で走り回っていたような記憶が、今でも残っている。

これは母親に確かめないとわからないが。

そして今でも火葬室に運ばれた棺の記憶が残っている。小さいドアの奥に棺が入っていく映像が今も脳裏に刻まれている(これが現実なのかはわからない)。

そして時は経った。

それからおばあちゃんの家の一室には、仏壇が置かれた。

両親はいつも帰ると、その前の蝋燭に火をつけ、お香を焚き、仏壇の前にあるお椀のようなものを棒で軽く叩く。お椀のようなものを「おりん」というらしい。そして棒は「りん棒」というのだそうだ。すると部屋中に、澄み切った、でも心の奥底まで響くような深い音が鳴る。その音を聞きながら、両親が静かに手を合わせながら、おじいちゃんと会話をするのだ。

だから、私はおりんの音を聞くと、おばあちゃんの家を思い出すし、なんだか心が安らぐ。

そして、幼い小娘が大好きだったのが「木魚」。仏壇の手前にある、もこもこの座布団の上に置かれた木魚。そしてその上に埃が被らないように、木魚掛けと呼ばれる布がかけられていた。

挨拶が終わると、木魚バチで ポクポク と何度も何度も叩いていた。きっと騒がしかっただろうに、おばあちゃんも両親も「じぃじが喜んでるよ〜」「ありがとうね〜」とやめさせることなく、ずっと満足がいくまで叩かせてくれた。

だから、今になっても
お香のかおり、おりんの音、木魚のリズムが大好きなのだ。

そしてある時、
お墓へおじいちゃんに挨拶に行った。
ここからは、両親に聞いた話で、小娘自身は全く覚えていない。

先程も言ったように、まだ『人の死』がわからない年頃だった小娘だが、そのお墓で何かを感じたようだった。

ふと、

『じぃじがここにいる。』

と言ったんだそうだ。

漢字も読めないし、お墓というものもわからない。そんな小娘だけど、おじいちゃんを感じることができたようだ。まぁよく、亡くなってからその人の魂がその場所にしばらく残るなんて言われる。

さすがに、両親や祖母も驚いたそうで、とても記憶に残っていると言っていた。

私のおじいちゃんはどんな人だったんだろう。
もしタイムマシンができたら、私は絶対におじいちゃんに会いに行くだろう。

もうあの時みたいに、おじいちゃんを感じることはできなくなってしまったけど、きっとおじいちゃんはいつも私の近くで、私のことを見守ってくれているんだろうな。


写真は四国を家族で旅行した時の写真。祖谷のかずら橋。
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