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弱すぎる三半規管のおかげで死にかけた話

これは、小娘が大学生時代にアルバイト先で起こった出来事である。

小娘は、大学時代に色んなアルバイトをしてきた。

  1. 塾講師

  2. スキーインストラクター

  3. スーパーの試飲試食販売員

  4. 交通量調査

  5. クリスマスケーキ製造補助

  6. 日本語教師

  7. 留学生チューター

  8. 教授の論文作成補助

塾講師は最も長く勤め、他は単発で勤めた。
社会経験を積むと言う意味では、本当に多種多様な働き方を見て、とても面白かった。

今回はその中でもスキーインストラクターとして働いた時の話である。

きっかけ

小娘の大学は東北地方の寒い地域だった。埼玉県出身ながら、両親の趣味で物心ついた時からずっとスキーをしている。中学生や高校生の時は、新幹線を使い、新潟のスキー場まで1人で通うぐらいには、真剣に取り組んでいた。

そんなこともあり、せっかく積雪地帯の大学に通うわけなので、部活はスキー部に入部しようと心に決めていた。小学4年生から続けていたバドミントンを続ける選択肢もあったが、小娘が選んだのはスキーだった。

そんなわけで、4月の仮入部期間に、スキー部の滑り納め兼新入生歓迎会を称し、日帰りスキーに参加した。

そこで、仲良くなった先輩方が、スキー場のお手伝いをしているらしく、経験者だった小娘を色んなスキー場関係者に紹介してくれた。

弱すぎる三半規管のおかげで死にかけた話

スキー場のスタッフとして働く最大のメリットは3つある。もっとあるが、今思いつくのはこんなところ。

1つ目
圧雪後の素晴しい整地を、パトロールと称して朝一番に滑ることができる。
2つ目
リフト券代がタダ。もちろん自由に滑る時間はあまりないが、タダでスキーすることができる。
3つ目
仕事が入らなかった時に、他のインストラクターさんと一緒に滑りながら、アドバイスを口受頂くことができる。

1つ目の朝一番に滑ることができると言うことは、やはりパトロールで最後お客様の追い出しをするためにも、1番最後に滑る必要がある。

悲劇はここで起きた。

何人か別れ、グループごとにそれぞれの斜面を滑っていく。そこで、もしお客様を見かけたら、プレッシャーをかけない程度に、後ろの方で見守りながら、下まで降りる。のだが…

その日はものすごい吹雪で、天候が最悪だった。もうお客様を探すどころの話ではなく、2メートル先が完全に真っ白で何も見えない状態(ホワイトアウト)だった。

小娘の三半規管は弱小で、これまでもバスやカーブの多い山道では乗り物酔いとの戦いだった。それに加えて、小娘は嗅覚が敏感で、公共交通機関のあの独特な匂いが苦手で仕方がない。匂いのせいで、全く揺れない新幹線でも乗り物酔いする始末だ。

話は戻り、ホワイトアウトだが、
地面も白い、周りも白いため、全く距離感が掴めない状態となった。一緒にパトロールに来たインストラクターの姿も見えない。小娘が先に滑り出したため、背後にいるはずなのだが、後ろも真っ白で、人影ひとつない。

おまけに、ホワイトアウトで距離感が掴めなくなると、急に目が回った感覚に襲われ立っているのが辛くなってきた。目眩とはこのような症状なのかと、その場でしゃがみ込み、後方にいるはずのインストラクターが、こちらに来るまで待とうと思った。

凍えるような寒さの上に、誰も見当たらないという孤独感。時間にして5分もない間だったのにも関わらず、体感としては1時間ぐらい1人でいたような気がした。

不幸中の幸いで、同じグループのインストラクターが私を発見してくれ、その後離れないように後ろから後を追いかけるようにして滑走し、なんとか下までたどり着いた。

あの時にもし1人でパトロールをしていたとしたら…と考えると身震いしてしまう。

ハードすぎるリハビリで死にかけた話

小娘は一度、右足膝前十字靭帯損傷により、手術とリハビリをしたことは以前触れたが、その後初の仕事がやたら大変だった。

その当時、小娘がアルバイトをさせてもらっていたスキー場ではフリースタイルスキーのワールドカップ会場として盛り上がっていた。

3年連続開催地として、スキー学校のインストラクターたちもその期間だけは、大会の運営に精を出していた。

フリースタイルスキーと言われると、ピンと来ない人もいるかもしれないが、小娘たちが運営に回ったのは、モーグルと呼ばれる種目だ。コブ斜面をスピーディーに正確にターンをし、途中で現れる台でエアを決める。

そんな世界的大会が行われた。

実は小娘が怪我をしたのはこのコブ斜面である。モーグルのコブと基礎のコブでは、滑り方が違うために形も滑走路も全く異なるのだが、明らかに、モーグルのコブの方が板を横にできないこともあり、スピードも出やすく恐怖感を持たせるようなコースとなっている。

そんなコースの整備役として、運営に関わることになってしまった。そして、あの怪我以来、初の仕事であった。そしてコブ斜面を滑るのも初だった。

もうしばらくはコブ斜面や不整地は滑りたくないなぁと思っていた矢先。恐怖と不安と闘いながらの仕事だった。

コースの整備と言われると、時間もたっぷりあり、そんなに難しくないのではと思っていたが、大間違いだった。

世界のトップ選手たちが数人滑った後に、数分間で、コースを整えなくてはならない。

リーダーの「ゴー」の合図で一斉にコブ斜面をみんなで横滑りをしながら、雪を均していく。
時間がないため、タラタラはできない。横滑りでものすごいスピードでみんな駆け抜けていく。こんなモーグル用のコースをハイスピードで横滑りしていたら、自分の患部側の脚がもげてしまうのではないかと、歯を食いしばりながら滑った。

何事もなく、何度か同じことを繰り返して、整備役を終えた。

もうコブ斜面はお腹いっぱいです。
そしてとんでもないリハビリスキーとなりました。


写真は残雪の京都の美山かやぶきの里📷

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