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この世界の共通言語は笑顔だと思う

このフレーズは高橋優さんの『福笑い』という曲のサビにある歌詞だ。この歌詞を身をもって経験したことがある。今日はそれについて綴りたい。

大学4年生の卒業手前、私は友人と2人で卒業旅行で、ミャンマーとラオスを訪れた。加えてミャンマー出身の留学生の友達と合流し、ラオスへと向かった🇱🇦

少女たちに案内されて

ラオスの首都ビエンチャンから北上すること40キロぐらいだろうか、ヴァンヴィエンというブルーラグーンで有名な地域がある。そこで、私たち3人はwater caveを探していた。

探すも探すも、なかなか辿り着かない。そんな中私たちは可愛らしい少女たちと出会う。
私たちがwater caveまでの道を尋ねると、一番年上の女の子が、遊び道具をそのまま地面におき、私たちに手招きをした。すると、他の女の子たちもつられて、私たちの前を歩き始めた。どうやら、私たちを案内してくれるようだ。

ラオス語がわからない私たち、英語がわからない少女たち。地図を見せたり、身振り手振りで会話をする。

洞窟に無事到着し、お礼を言い、私たちが水着に着替えて浮輪とヘルメットを借りていると、少女たちが中も案内してくれると言う。

私たちは、ヘルメットに水着だが、少女たちは水着を持っておらず、同じ服装で水に浸かり、ヘルメットもつけずに、私たちの浮輪を引っ張ってくれた。洞窟に入ると足が着くぐらい浅いのだが、洞窟に入る迄は、大人の我々も足がつかないぐらい深い。そんなところを小さい少女たちがロープを頼りに我々をたぐい寄せながら案内してくれた。

少女たちの神聖な場所

water caveを満喫した後、我々は少女たちに何かできないかと考え、入口の売店でお菓子をご馳走してあげることにした。少女たちも、思ってもみなかったようで、とても喜んでお菓子を受け取ってくれた。

その後、少女たちは別の洞窟の中にあるお寺(のようなところ)に連れて行ってくれた。そこでは日本の神社のようにおみくじがあり、それをやらないかと誘ってくれたのだ。私たちはそれぞれおみくじを引くも、全てラオス語で何が書いてあるか理解できず、少女たちに渡す。すると、少女たちも私たちに説明をしたいが、言葉がわからないため、もどかしそうに“good”とだけ呟いた。何がgoodなのかわからないが、彼女たちのあの可愛らしい笑顔でそう言われると、私の人生これから良いこと続きなんだろうと、不思議と思えてしまった。

少女たちの日常に触れる

最後、彼女たちが連れてきてくれたのは、彼女たちが通っている学校らしきところだった。校庭らしきところでは、放課後に友達同士で遊ぶ子たちが、何人もいる。

そこにいる子どもたちは、当たり前だが少女たちと知り合いな訳で、他の子たちも見たこともない日本人に少し距離をとりながら、こちらの様子を伺っていた。

少女たちが友達たちと戯れているのを見ながら、そろそろ帰ろうかと3人で、来た道を戻ろうと雰囲気を醸し出すと、少女たちが察知したのか、私たちに小さなプレゼントをくれたのだ。

それはピンクのハイビスカス🌺だった。

それを耳のところにつけて!と言われ、
我々3人は言われるがままに耳の上につけた。
そんな小さなプレゼントをもらい、私たちは別れを告げたのだった。

終始、少女たちから屈託のない笑顔を向けられ、私たちも自然と笑顔が溢れていた。言葉で会話はできなくとも、表情で会話はできる。彼女たちから、大切なことを学んだ。

そしてここからは私の持論なのだが…
よく聾者や盲者が別の五感に長けるという話をよく聞く。これは異文化交流も同じだと私は思っている。『言葉が通じない』という状況下にあると、人間は表情や雰囲気を敏感に読み取れるようになる。今回の少女たちにしてもだ。たった1桁しか生きていない子たちが、見ず知らずの私たちの空気を読み取り、行動を共にし、思いやりを持って接してくれた。そう考えるだけで、なんだか胸が熱くなる。

彼女たちは今いくつになったのだろうか。
彼女たちの笑顔を思い出すと、なんだか心が晴れ晴れとする。またいつか成長した彼女たちに会いたいな。


見出し写真は、少女たちが私たちのおみくじを読み解説を試みるところである。

そして私たちが訪れたwater caveはこちら💁🏻‍♀️

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