<詞> 桑田佳祐 「詞に関して言えば、アナクロっぽい詞に多少飽きたというか種につきたというか(笑)だんだん面白くなくなってくるわけですね。それよりもテーマとか意味とかという別な新しいものを捉えてきた。聞き手にひっかかる部分を多く示そうとね。 今まではメロディだけで歌詞はどうでもいいという考え方だったんだけど、 逆に歌詞からメロディを聴かせるという方向になってるのかな。 『Dear John』に関しては、ジョン・レノンに捧げたというと安易な感じがするんだけど、実際ニューヨークに行った時、彼と同化するという気持ちになったこともあるからね。完全に僕個人のミーハーな気持ちなんですよ。 ジョン・レノンはニューヨークに行ったはいいけど、きっとリバプールへ帰りたかったんじゃないかとか思っちゃう。僕自身の気の弱さと、変にヒステリック・ミーハーみたいな部分を、彼の中にも見出そうというか、絶対あったはずだという気持ちなんですよね。この曲に託したのは。」(1984年)
桑田さんがニューヨークに行った際、ジョン・レノンの住んでいたダコタアパートを見に行ったそうだが(ただの観光客やなあ!)、その時、ホームシックにかかっていた桑田さんが勝手に自分とダブらせて想像していたそうな。その時の事を元にして作ったそうです。 「Strawberry Fields」「Riverpool」「No Reply」「Love」とレノンさんにちなんだ言葉が登場する。 「強がりばかりじゃなく、ときめく弱さまでいい」というフレーズ、これは桑田流最大級のレノンさん称賛の言葉でしょうね。
<曲・アレンジ> 八木正生氏との共作。 これには伏線があり、著書「ケースケランド」の1981年八木正生氏の回を読んでみると、
桑田佳祐 「このあいだ、八木さんが私に『いつかハリー・ニルソンの ”夜のシュミルソン” みたいなの一緒にやりたい』と言っていたのですが、半分以上その意味はわからなかったものの、私は『ああ、ぼくもやりたい』と答えてみました。」(1981年)
とあるように、まさにそれを実行させた曲であると私は思う。 (ニルソンの「夜のシュミルソン」というアルバムは、フルオーケストラをバックにジャズのスタンダードナンバーを歌ったもの。) また、1984年「人気者で行こう」リリース直前のインタビューでも、
桑田佳祐 「時間が空いたら例の“嘉門雄三”っていうシリーズ、やりたいんですよ。今度、ちょっとね、ハリー・ニルソンっていたでしょ、あれの「夜のシュミルソン」ってアルバムみたいな、オーケストラポップスをね。それがここ3~4年の夢かな。まあ、一番後回しには、なっちゃうだろうけど」(1984年)
とありまして、これ多分、「Dear John」で味をしめちゃったんでしょう、きっと。 更に考えてみると、「星空のビリーホリデイ」は、この曲の延長上に位置するし、もっと更に考えてみると、1996年の“夷撫悶汰”は、桑田さんの心の中では「Dedicated To 八木正生氏」だったのではないでしょうか? (オーケストラではなかったが、「夜のシュミルソン」の1曲目出だしが「As Time Goes By」。「Yves Monta Late Show」も1曲目だったので・・)
ちなみに「Dear John」のオーケストラは一発録りで、サザンのメンバーは一人も入っていない。コンダクトは八木正生氏本人がとっている。
レコーディングエンジニア池村雅彦氏 『Dear John』のストリングスは、302 スタて一発録りしたものです。 編成はヴァイオリン× 6、ヴィオラ×4、チェロ×4、コントラバス× 2、サックス、フルート、オーボエ、クラリオット、ハーブ、ギター、ウッドべース、ホルン×4、ビアノ、ヴァイブという大編成で、こう大がかりになるとカプリも多く、小細工はききません。アレンジャーの八木正生さんも、回り込みの音を大事にしたいとおっしゃるので、ハープなど回り込みの激しいもの以外はブースに入っていません。 ヴォーカルもいつもは綿密に差し換えをするのですが、この時だけはほとんど差し換えをせず、雰囲気を大事にしました。 初めはメンバーのコーラスを入れるつもりが、オケを録ったらそれだけでサウンドが完成してしまったので、結局歌だけダビングしました。 今回、ミックス・ダウンなどもかなり僕に任せてくれた部分が多く、サウンドではまとめやすかったのですが、何も言われなくても自然とサザンのカラーを出すようになっているのは不思議ですね。 ただ、桑田君のヴォーカルだけはフェイクが多く、その場所は本人だけが知っているのでヴォーカルのフェーダーを本人に任せているんです。
上記の通りヴォーカルをいつもなら綿密に差し替えをするところを (桑田さんのVo録りのパンチイン・パンチアウトは恐ろしいほど細かいともっぱらの評判。一回だけテレビで見たことあるけど、ホンマに細かい。) この曲だけはほとんど差し替えをせず、ほぼ一発録りという事が興味深い点。
メンバーコメント 野沢 「メンバー誰も演奏してません。本物の30人のジャズオーケストラの演奏を全員で見てた。でも、サザンなの。評価、見方が楽しみ」 桑田 「キミが感じていることと一緒」 松田 「やった!ズージャです!」 関口 「アチシらには過ぎた世界ですら」 大森 「映画音楽」 原 「何もしなかったのでヒマだった」 (1984年)
<背景> シングル「Bye Bye My Love」のカップリングで、「やっぱりあいつはクロだった!ツアー」でのサザンのバンドバージョンが聞くことができる。なぜかエンディングは「The Long And Winding Road」。 そういえばですねえ、前作「綺麗」のラスト「旅姿六人衆」は、ポールマッカートニーへのオマージュだったし、この曲もアルバムのラストでジョンレノンへのオマージュだということは大変に興味深い。別に深い意味はなく、たまたまだと思いますが。
<1998.09.08記>
後年になって気が付いたのが、「夷撫悶汰レイトショー」のジャケットって、「夜のシュミルソン」のレコードジャケットじゃない?これって。
<2023.12.08 追記>