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C調言葉に御用心

<ジャケット>

撮影はビクタースタジオ内。懐中電灯を持ったオジさんは本物のビクターの守衛さんだそうだ。

<タイトル>

『C調』は昭和37年(1962年)の流行語から。

<詞>

桑田佳祐
「詞のほうにもけっこう自信があります。
“髪の長さや色気にゃ酔えない”という部分ね、あそこがいいでしょう。
今まで腰とかうなじとかはもう出してしまったので、ふとサーファーを思い出して・・。あの髪はサーファーの髪なんです。」(1980年)

桑田佳祐
「僕は茅ヶ崎で生まれ育った、生粋の茅ヶ崎の人間なんですけどね。よくいろんな雑誌でカッコよく、湘南ビーチとか加山雄三通りなんて紹介されているけど、そんなもんじゃないですよ。

ウルトラマンの親戚みたいなウェットスーツ着たサーファーが、さびてブレーキもきかないチャリンコに乗って走ってるんですよ。雨が降ってるのに、よせばいいのにタバコなんてふかしてね。

汚いひげはやして、夏中、海にでてるから髪がチリチリに焼けて金髪なんですよ。サーファーっていうより波乗り野郎。

どこ行くの?って聞くでしょ。すると、"ハマ"なんて言ってね。なんもカッコよくなくて、土地の人間にしか分からない気持ちってありますよ。

それを『C調言葉に御用心』に書いたんですけどね。」(1979年)

<曲>

桑田佳祐
「“C調言葉にだまされ・・”っていうサビの部分だけ、前に作ったフレーズだったんだ。それを引っ張り出してきて、別個にできていたフレーズをツギハギでくっつけたわけ。これも、すぐにできた曲だよ。」(1979年)

桑田佳祐
「トロピカルサウンドに、E→Amaj7→A♭m7というコード進行があって、これを使ってみようと思ったんですよ。

歌い方によってはすごく野暮に聞こえるから、ぼくの曲の中では歌いにくい方です。レコーディングスタジオで突然思いついて、曲はすぐ出来た。」(1980年)

<アレンジ>

これ、意外とみなさん見落としがちなんだけど、この曲の間奏で初めてシンセサイザーを使用している。

しかもモノシンセ。(和音が弾けない、つまり単音しか出せないもの)さすが70年代。最後のポルタメントが郷愁を誘う(笑)。

考えてみると、これが70年代最後のリリースした楽曲だったりする。80年代に入ってからシンセサイザーが音楽全般に当たり前のように使われてくるわけだが。。

余談になるが、私の記憶が確かだと、翌年のハラボーの誕生日にメンバー・スタッフが金を出し合って、シンセサイザーをプレゼントしたと思うんだけど。これもおそらくモノシンセ。

ちなみに1980年12月のライブ“ゆく年くる年”の原由子使用楽器リストでは「ヤマハシンセサイザー CS-50」とクレジットされていた。これがその楽器だったかどうかは定かではないが。興味のある方はこの辺を読んでみて下さい。

どうでもいいと言えばどうでもいい話なのだが、来たるべきシンセ主流時代を考えると、結構、重要ポイントであり、エポックメイキングな出来事なんだなあ。オタクな話だが。。。。
まあ、時代観を汲み取っていただければと。

<背景>

関口ムクちゃん談
「これは、本当はB面用の曲だったのです。A面は『加藤さんのクリスマス』という曲だったのですが、結局『加藤さんのクリスマス』と言う曲はできなかった。」(82年)

当時の雑誌記事によると、本当はクリスマスソングの予定で、作曲もほぼ出来上がっていたが編曲のための時間がなくて、急遽『C調言葉に御用心』に変更されたそうだ。

<1999.09.08記>

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