掌編小説『塵が積もれば何になる?』

         本文

 世の中、許せない奴が多すぎる。
 ランチのために一人で店に向かう道すがら、他愛もないことを考えたのは、前日、先輩から上司に対する愚痴を聞かされたせいかもしれない。あいつだけは許せないって。
 小さな保険会社に就職して間がなく、学生気分が完全には抜けていない私ではあるが、先輩のコメントには異論がある。

 許せない人間が大勢いるのは、ネットをちょっと覗けば明らかだ。
 私にとって許せないなと思った最初の人物は、芸能人だった。浮気しておきながら、自らを正当化しようとする謝罪コメントにむかっときて、以来、そいつの出ている作品や番組は避けるようになった。それでもテレビに出続けている。ツイッターで同意見を見付けて、いいね!をしたりリツイートすることで気が晴れた。
 次は政治家だった。与党を概ね支持しているけれども、閣僚に一人、頼んないのがいた。大臣なのに門外漢ですみたいな顔で答弁するし、パーティや視察先では失言を連発。党首はかばわずに、さっさと切ればいいのに。結局、三度目の失言でやっと辞めた。これはネット世論の影響が大だったと信じている。
 犯罪者には元々いい感情なんて抱きようがない。輪を掛けて悪感情を沸き立たせるのは、加害者家族や関係者の反応がひどい場合だ。未成年者かそれに近い子供が凶悪な事件を起こしたのに、知らんぷりする親。旦那や彼氏が悪いことをして稼いでいるのを絶対に知ってるであろうに、私も被害者ですって顔をする女。人身事故を起こしておきながら、身代わりを立てる輩。枚挙にいとまがない。ああいう連中は皆、地獄を見ればいい。幸い、ネットユーザーの調査能力は優秀だ。報道から半日と経たない内に、犯罪者及びその関係者の個人情報が、次々とアップされる。世間はおまえ達を許しはしないのだ。
 行きすぎがあることはもちろん承知している。特に、間違いがあったときは最悪だ。心地よく叩いて炎上させていたのに、この人は犯人と縁もゆかりもありませんよとか、その会社は名前が似ているだけで無関係ですよとか、水をぶっかけられた気分になる。出すのなら絶対確実な情報に絞れ。大元の噂を流した輩が悪いのであって、それに乗っかった私達は全然悪くない。偽の情報に踊らされた、いわば被害者だ。だってそうじゃない? 平凡な一個人が自力で調べられる範囲なんてたかがしれている。確かめようにも、いちいち疑っていたらきりがない。昔からある大手マスコミの報道だって誤ることがあるのだから、何を信じて何を疑うかの線引き自体、無理な話ってもの。

 そんな今の世の中だから、あいつだけは許せない、なんていう存在はあり得ない。「だけ」がネックになる。一人に絞り込むのは不可能ってね。
 まあ、その時点で一番許せない奴なら決められなくもない。目下のところ、私が一番許せないのは……巷を騒がせている爆破魔、炸裂ジャックにしておく。
 この名前、マスコミや警察なんかが付けたのではなく、爆破魔自ら名乗ったもの。犯行現場近くの壁や床に書き残したり、マスコミ宛てに署名入りの挑発文を送り付けたりしている。これだけでもう調子乗ってんなと分かる。ネットも「こいつ、むかつく」の声で溢れかえっている。
 悪い意味で世に名高い炸裂ジャックだが、その犯行による死者は、爆破の規模に比べると少ない。深夜のオフィスビルに空き家、無人駅のポストとか大晦日の学校の体育館とか、人のいない場所・時間帯を狙ったとしか思えない。四週間に一度ぐらいのペースでこれまで六件起こして、死者二名、重傷者二名。しかも死者の一人は、爆発に驚いて逃げ出した群衆が将棋倒しになり、運悪く圧ししたというもの。これだから炸裂ジャックに対しては、口ばかりで人を殺す勇気のない臆病者だ、花火遊びの好きな子供だなんて嘲る書き込みも結構ある。私はさすがにそこまでは言わないけれども。ただまあ、爆破するんならもっと意味のあるところにしろよなとは思うね。政治に対する抗議とか、横暴なマスコミへの批判とか、意味を持たせればいいのに。今のところ、警察やネットの探偵気取りを嘲うメッセージしか出していない。悪のヒーローを気取りたいなら、一般大衆の支持がなければどうしようもないって、分かってないんだなあ。

 お気に入りのランチの店まで、残りおよそ八百メートル。オフィスビル街を行く。次の角を左に曲がれば大通りで、真っ直ぐ見通せる。時間の融通はそこそこ利く職だけれども、急ぎ足になっていた。
 角を曲がろうとした刹那、誰かが飛び出してきてぶつかりそうになった。
 否。ハンチングを目深に被ったその人物とは、実際に肩と肩とが触れた。結構強めに。私は大きくバランスを崩し、尻餅をつく。その状態のまま身体ごと後ろを振り返った。相手もバランスを崩したようだがすぐにリカバリーすると、私が出て来た角を曲がることなく、大通りをずんずん行く。見る間に遠ざかるがベルボトムのすらっとした足が印象的で、後ろ姿から女だと想像できた。
「痛い! ちょっと! 一言くらい謝れ!」
 思わず声高に叫ぶ。立ち上がろうと手を少し動かすと、指先に何か売れた。自分の尻の近くに財布が落ちていた。男女の別なく中性的な仕立ての白くて細い二つ折りの財布だが、ぶつかった女が落としたのは間違いなさそうだ。
 ふと思い付いて、財布を開くとカード類を探す。そこに記載された名前を大声で読み上げてやろうという魂胆だった。カード入れはすでに飽和状態で、カード類の角を指先でかりかりと引っ掻いていると、やっと端が見えるくらいには取り出せた。お誂え向きに、一番上は大学の学生証らしい。引っ張り出そうと力を込める。
 が、その瞬間――衝撃波が右側から襲ってきた。
 巨大な怪鳥が舞い上がるときの羽ばたき。そんなもの食らったことはおろか、見たことすらないけれども、何故かそのとき連想した。
 歩道に尻餅をついていた私は、ほぼそのままの姿勢で、アスファルトの上まで横っ飛びさせられ、転がった。道路を車が行き交っていたら、跳ねられていたに違いない。
 音がよく聞こえない。耳がぼわーんとなって、気持ち悪い。私を右側から押した力が、爆風によるものと気付いた。建物の硝子が幾枚も割れている。
 即座に炸裂ジャックのことが浮かぶ。そして、あの女が怪しいと直感した。
 さっき拾い上げた財布、それに学生証は、手の中から消えていた。慌てて周囲に目を走らせると、5、6メートル先のアスファルト道にへばりつくようにして落ちている。あれを見れば、炸裂ジャックの本名と顔が分かる。立って駆け寄ろうとしたのだけれども、ショックのせいなのか腰が抜けたみたいに、力が入らない。腕を踏ん張り、下半身をずるずる引き摺ることで、目的物へとにじり寄る。手は依然として届いてないけれども、ラッキーにも学生証はおもてを上にしていた。ゴミくずのような黒い粉塵がぱらぱらと載っていたが、文字は読める。
「中原……佳子」
 私は口の中で発音した。耳がおかしいせいか、自分の声でさえいつもよりずっと遠くに聞こえる。
 早く世間に伝えなければ、これって大スクープ?などと焦りを覚えつつ、スマホを取り出したとき、道路の何百メートルか先の光景が目に入った。
 警察官らしき二人が、最前、私とぶつかった女を挟み撃ちして今まさに捉えた場面だった。たまたま警戒中だったのか、以前からあの女が怪しいと睨むだけの極秘情報があったのか知らないけれども、警察官達は確信を持って逮捕したように映った。
 これはますます急がなくては。一生に一度巡り会えるかどうかのスクープなのに、ぐずぐずしていたら警察の発表やニュース速報に後れを取る。
 私はスマホを操作し、現場の模様を写真に収め、震える手で文字を入力した。“今爆破事件に巻き込まれたんだが”“炸裂ジャックの正体判明”“中原佳子”“T大学工学部”“学生証見たから間違いない”等々、非日常的かつ興奮状態にある割には、まとまりのある文章をつぶやけた。
 犯人逮捕を目の当たりにしたせいもあって、安心すると力が抜けてきた。犯罪事件に関する情報を発信するのは初めてだけれども、こんなに大きな事件でしかも犯人逮捕の超速報。いいね!の数が楽しみで、自然と笑えてきた。

             *           *

<……ただいま入りましたニュースです。
 炸裂ジャックと称する連続爆破魔の事件、その容疑者が逮捕されました。
 警視庁の発表によりますと、本日午後十二時四十分、爆破事件の発生した**の路上で大学生の中原圭子を緊急逮捕したとのことです。……>

             *           *

 嘘つきだ何だと責められようと、仕方がなかったとしか答えようがない。
 学生証まで距離があった上に、塵が載っていたのだから。圭子が佳子に読めたんだから。私が悪いんじゃない。
 それに、T大学には犯人の中原圭子なかはらけいことは別に、中原佳子なかはらよしこという学生が本当にいたのだって、不幸な偶然に過ぎない。誰も想像のしようがない、不可抗力ってやつ。
 彼女のスマホや実家の電話に悪戯電話が殺到した? みんなが勝手に暴走しただけだし。私が彼女の電話番号まで晒したのならまだしも、そんなことしてないから。
 だからね、その人がノイローゼになって自殺を図ったとしても、私のせいじゃない。

 八週間後、炸裂ジャックは中原圭子だと誤情報を発信したナツキが、衆人環視の中、刺殺された。目撃者の話によると、刺した男は冷静に「あなただけは許せない」と呟いていたという。

――終

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