見出し画像

こんな発言の経験はありますか?

「しっかりしなさい。ちゃんとしなさい。」

このように言っては子どもや相手は傷つくかもしれないだろうと思う言葉。
大人になった自分も他者から言われたらモヤっとなる言葉を
しばしば、こどもたちに言ってしまう。
特に言ってしまう場面は・・・・
時間に限りがある時(遅刻)、自分の心に余裕がないときに口から発してしまう。
「言ってはいけない。気をつけなければ」、と思ってからは、口数が少なくなったように思う。
これらの
縛ってしまう言葉は、
当事者は「頑張る」 ➡ 当事者は、やってもできなかった。相手からは褒められない ➡ 自分は報われない。
と感じてしまう。
自分自身に○○はしてはいけないと思ってしまう事
自分がネガティヴに否定的に捉える事
そして、人前に出ると笑顔を作れない。
自分が笑えない。と感じる事が増えた。
そういう苦しい時期が続いた。
自分に余裕がなくて助けてもらおう。理解してもらおうと「助けて」と「SOS」を出した。人によっては理解を示して手を差し伸べてみようという人もいるけど、大半は手を差し伸べてもらえない。
むしろ、周りのみんなと比較して、「できるはずでしょ。」と言われることがある。
一般的にできることが、私はできないことがある。

「自分ができていないからだ。」
「頑張りすぎて、疲弊しちゃうんじゃないか。」
「自分の心と体を守るために物事たちを整理しよう。」
「周りができている物事を自分でもできるようにしよう。」
と思うけど、心の中は、「周りから、こう思われたい」「周りから言われたくない」と外向きの他人軸になってしまう。
「頑張んなきゃ。でも、これやる理由ある?私、やる気がない」

他人は言う「みんなできているから。
みんなやれているから。
母なんだから。」

言われ続けて反抗し続けて、
ヘルプが出せなくなった。
自分を追い込んだ時期があった。
外に出れなくなった。
自分らしく居たいのに、
自分らしくさせてくれない。
そういう時期が学生や物心ついた年齢から始まったから
自分中心・自己中心の生活になったのに
やはり自由ではなく、人を縛る・人の心を縛る環境になってしまっていた。
「自分ができていないからがんばらなきゃ。」
本当は、やる気がない。
一生懸命やってみても他の人に言われ、全て受け止めて
人の気分に左右され、人の気分を気にして、気分を良くして・・・
まだやっていく。
どの方向が自分に合っているのか、苦しくないのか、
模索してやっていった。
たどり着いて、自分で立ち上げて一人でお仕事をすることが合っているのだということ。
しかし、お金がないと生活はできない。
収益化するのはすごく難しい。
これからも挑戦は続く。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?