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喜びは音楽に乗って―「羊文学」の挑戦



出会い

 12月13日の水曜日―残念ながら金曜日ではありません―、久しぶりにテレビをつけると、東急東横線の渋谷駅の改札らしき場所をバックに歌っているバンドの姿が飛び込んで来ました。バンド名は、羊文学。歌っていたのは、『呪術廻戦』の「渋谷事変」のエンディングテーマである、「more than words」でした。どんなバンドなんだろう、と調べてみました。バンド名を決めたのも、作詞・作曲をしているのも、ヴォーカルを務める塩塚モエカ(1996~)であること、塩塚は中高の6年間を女子学院で過ごしたことを知りました。
 この文章では、「羊文学」を巡って三つのことを考えていきたいと思います。第一に、「羊文学」というバンド名にどのような意味が込められているのか、第二に、塩塚が歌詞に込めた願いは何か、第三に、歌詞が先行するどのような楽曲を踏まえているのか、です。歌詞の引用をしていることもあり、少々長くなりますが、最後までお付き合いいただけますと、幸いです。


バンド名の由来

 塩塚は2020年のインタビューで、「幼稚園と中高がキリスト教教育の学校に通っていたんです。キリスト教徒というわけではないんですけど、毎朝聖書を読んだり、賛美歌を歌ったりして、『よりどころになるもの』をキリスト教のなかに見ていた」、「キリスト教には『主の祈り』というものがあって」「自分ではどうしようもないことに出会ったときに、自分よりもっと大きなものの力を信じて、それを唱えるんです。」と語っています(「羊文学・塩塚が語る、愛と許し 聴き手の『よりどころ』となる歌を」、「CINRA」、2020・2・7)。キリスト教が彼女の核となる部分を形作っていることがわかります。
 彼女が女子学院におけるキリスト教教育から大きな影響を受けていることを踏まえて、「羊文学」というバンド名について考えてみましょう。バンド名は、塩塚が中学生のときに思いついたものです。キリスト教における「羊」、特に小羊は、イエス・キリストを指しています。『岩波キリスト教辞典』(2002)の「小羊」の項(月本昭男執筆)をざっくりとまとめると、こんなふうになります。

 小羊は、イエス・キリストの称号。旧約聖書の『出エジプト記』で、イスラエルの民がエジプトを脱出する夜、エジプトの初子を撃つ神ヤハウェは、入り口の柱と鴨居に塗られた小羊の血を見て、イスラエル人の家々を『過ぎ越し』た。この出来事を記念し、毎年、過越祭でイスラエルの民は家族ごとに小羊を屠り、その血を入り口と鴨居に塗り、旅支度でその肉を焼いて食べたのである。
 イエスが十字架で処刑されたのはこの過越祭の時期に重なっており、そのことが、イエスの死を過越に屠られる小羊と重ね合わせて理解する端緒となった。パウロはコリント信徒への第一の手紙で、『われらの過越の小羊として屠られた』キリストという表現を用いた。この点を徹底させ、イエスを小羊として描くのはヨハネ福音書である。

 「羊」がイエス・キリストを指すなら、「羊文学」は何を指すのでしょうか。「文学」は言語芸術ですから、「羊文学」は、イエス・キリストの言語芸術ということになります。イエスは、自ら執筆することはありませんでしたから、「羊文学」は、イエスの言動を記録したもの、つまり、四人の記者によって記された福音書を指しているとわかります。福音書の目的は、イエスが十字架上の死によって、人類の罪を帳消しにするという福音をもたらしたことを告げ知らせることです。塩塚は、「福音書」を意味するバンド名にすることで、音楽を通して人々に喜びを届けたい、そんな願いを込めたのでしょう。「羊文学」は、オルタナティブ・ロックというジャンルに分類されるそうですので、ロック界のイエスたりたい、という願いを込めたといってもよいでしょう。

「more than words」の歌詞を分析する

 では、塩塚が実際に作った曲を見てみましょう。今回は、人気アニメのエンディングテーマになることで、「羊文学」をそれまで知らなかった人たちにも知らしめた「more than words」を取り上げます。歌詞は大きく三つのパートに別れ、パートの終わりに「more than words」が繰り返されます。
 
〈 歌詞 part1 〉
彼が言った言葉 何度も思い返して
上手く返事できたか?グルグルグルする

いつからか正解を選ぶのが楽になって
本音言う無邪気なペース適当に誤魔化している

だって どうだっていいって笑っても
まだ自分のことを愛したいんだって
もがいているんでしょう?

きっと 間違いだらけのストーリー
溺れそうな夜も一人じゃないから
just be by your side
and give you more than words

give you more than words

〈 part1の読解 〉
 本音を言えず、自分を愛したいともがいている「自分」の姿と、そんなときにそばにいて、言葉以上のものを与えてくれる存在があることがわかります。

〈 歌詞 part2 〉
書きかけのメール 振り出しに戻して
決めきれない自分にグルグルグルする

分からないことが多すぎる世界じゃ
賢いふりをしても傷ついたりする

いつからか失敗を避けるのにむきになって
本当に欲しいもの諦めて、何がしたいか
見えなくて見過ごして、絶望だけ得意になって
それをもう手遅れと決めるにはちょっと早いね

だって どうしようもないときでも
まだ自分のことを信じたいんだって
気づいているんでしょう?

きっと 同じような痛みを
辿ってく夜がきみにもあるなら
just be by your side
and give you more than words

give you more than words

〈 part2の読解 〉
 「自分」は失敗を恐れるあまり、本当にしたいことができずにいますが、それでも自分を信じたいと思っています。そして、自分と同じような苦しみを抱えている「きみ」のそばにいて、言葉以上のものを与えようとしているのです。言葉以上のものは、一方的で絶対的な「愛」と呼べるでしょう。
 苦しんでいる自分のそばにいて、言葉以上のものを与えてくれる存在があったのだから、今度は自分自身が「きみ」のそばにいて、言葉以上のものを与えようとしていることがわかります。かつては自分を愛したいともがいていましたが、自分に寄り添う存在があることで、自分を愛することができるようになったのです。今度は、自分が身近にいる人に寄り添い、愛を示したい、そう願っているのです。「自分」の精神的な成長が伺えます。

〈 歌詞 part3 〉
この先は何一つ譲れない
全力で(I get it now)
どんな暗闇だって照らすライト
あなたがいること

転んで泥だらけでも仕方ない
やめらんない(I get it now)
損得見てちゃ何も生まれない
まだまだwe can head to freedom

いつもただ瞬間に賭けていたい
言い訳はもういらない live only once
踊り出せミュージックは止まらない
何にも怖くないわ

give you more than words

〈 part3の読解 〉
本音を言えず、本当にしたいことを行動に移すこともできないでいた「自分」が、妥協せず、失敗を恐れずに自分のやりたいことに全身全霊で取り組んでいこうとする姿が描かれています。主語に「we」が使われていることから、ともに苦しんでいた「きみ」と手を携え、新たな一歩を踏み出そうとしているようでもあります。「自分」の行動の支えになるのが、行く先を照らしてくれる「あなた」の存在です。
 「part2」で、自分を信じきれずにいたのが、身近な友人に寄り添い、「愛」を示すことで、おそらく友人から感謝され、自分の力を信じることができるようになったのです。さらに、「あなた」の存在を心の糧とすることで、失敗への恐怖から解放され、多くの人々に言葉以上のもの、一方的で絶対的な「愛」を届けたいと願っているのが、ラストの「give you more than words」でしょう。日常生活で、身近な「きみ」のそばにいて、一方的で絶対的な「愛」を示した「自分」は、今度は、挑戦したいと思っていた分野で、多くの「you」に寄り添い、一方的で絶対的な「愛」を示そうとしているのです。日常生活で、身近な人を励ますことから、ある分野で、多くの人を励ますことへとステップアップしようとしているのです。

歌詞に込めた願い

 こうして歌詞を見てきますと、歌詞には塩塚自身の経験や思いが色濃く反映されているように感じます。
 苦しんでいるときも常に「自分」のそばにいて励ましてくれる「あなた」は、人間というより神といったほうがよい存在です。キリスト教によりどころを見出し、どうにもならないときに「主の祈り」を唱える、という彼女の経験に通じるものがあります。「あなた」の存在が「どんな暗闇だって照らすライト」であるという表現は、イエスを光にたとえた、『ヨハネ福音書』1章5節の「この光はいつも暗闇の中に輝いている。」を踏まえたものでしょう。
 また、最後のパートで、「自分」は失敗を恐れず、多くの人々に言葉以上のものを与えたいと願っていますが、これは、大学卒業後、1年ほど会社員をした後、音楽活動に専念することに踏み切った塩塚の姿と重なって来るのです。
 歌詞を読み込むと、塩塚自身が神の存在に助けられて、神に倣って、まずは日常生活で身近な人のそばにいて励ます存在であろうとしていること、次に音楽の世界で多くの人々に寄り添い、励ます音楽を作りたいと思っていることがわかるのです。「more than」は、塩塚の秘かな信仰告白であると同時に、音楽活動を通して何を目指すかというマニフェストにもなっているのです。
 付け足しになりますが、「part1」で自分を愛したいと願い、「part2」で自分を信じたいと願っていますが、これは『コリントの信徒への手紙一』の「愛の讃歌」を踏まえているのでしょう。手紙で使徒パウロは、「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(『聖書 新共同訳』、1987、日本聖書協会)と述べています。「信仰」は神に対するものであり、「愛」は、十字架のイエスに倣い、自分の命を犠牲にすることも厭わないアガペーを指しています。これを、塩塚は自分を信じ、愛すことへとパロディ化しているのです。「希望」は信仰とほぼ同義ですが、「part3」の、「あなた」の存在が「どんな暗闇だって照らすライト」であるという表現は、「自分」が「希望」を持って人生を歩んでいこうとすることを示しているのでしょう。因みに、2022年4月に発売された三番目のフルアルバムのタイトルは、『our hope』です。「more than」では直接的には言及されなかった「希望」が冠されているのです。


Extremeの「More Than Words」から羊文学の「more than words」へ―求めるエロースから与えるアガペーへ 

Extremeの「More Than words」

 「more than words」は、塩塚の脳裏に突然ひらめいたタイトルという訳ではありません。1990年にリリースされた、Extremeというバンドの同名の曲があります。この曲は、2作目のアルバム『Pornograffitti』に収録されており、1991年、全米ナンバー1を獲得しています。アコースティックギターとヴォーカルのみの、美しいバラードです。バンドメンバーの、ゲイリー・シェローン(1961~)とヌーノ・ベッテンコート(1966~)が作詞・作曲をしています。こちらの歌詞も見てみましょう。

ゲイリー・シェローンとヌーノ・ベッテンコート

Saying “I love you”
Is not the words I want to hear from you
君から聞きたいのは「愛してる」っていう言葉じゃない
it’s not that I want you
Not to say but if you only knew
 
How easy, it would be to show me how you feel
言わないで欲しいっていう訳じゃない
君がわかってくれさえすればと思ってる 感じてることを僕に示すのがいかにたやすいことかって
More than words is all you have to do to make it real
愛を本物にするのに必要なのは言葉じゃないんだ
Then you wouldn’t have to say that you love me
「愛してる」は言わなくてもいい
’Cause I’d already know
そんなことはもうわかってるから
 
What would you do
If my heart was torn in two?
僕の心が二つに引き裂かれたらどうするんだ?
More than words to show you feel
言葉以上の気持ちを示せば
That your love for me is real
僕への愛が本物ということ
What would you say
If I took those words away?
僕が言葉を奪ったら君は何て言うんだ?
Then you couldn’t make things new
Just by saying“I love you”
「愛してる」っていうだけじゃ新しいものは生まれない
 
La-di-da,da-di-da
Di-dai-dai-da
More than words
La-di-da,da-di-da

Now that I’ve tried to
Talk to you and make you understand
All you have to do is close your eyes
And just reach out your hands and touch me
君に話をしてわかってもらおうとしたんだから
君はただ目を閉じるだけでいい
手を差し伸べて僕に触れて

Hold me close, don’t ever let me go
しっかり抱きしめて離さないで
More than words is all I ever needed you to show
君に示してほしいのは言葉にできないこと
Then you would’nt have to say that you love me
そうすれば、僕を愛してるなんて言う必要はなくなるだろう
‘Cause I’d already know
そんなことはもうわかってるから

More than words to show you feel~Just by saying“I love you”の繰り返し

 「僕」は恋人に対し、「愛してる」という言葉以外の愛情表現をしてほしいと言っています。代わりに、手を差し伸べて自分を抱きしめ、離さないことを求めています。陳腐な言葉よりも、身体的な接触による愛情表現の方がいいと言っているのです。
 歌は『Pornograffitti』に収められています。正確なスペルはtが一つ少ないようですが、アルバム名は「性的興奮を起こさせるようなエロチックな行為を表現した落書き」とでも訳すことができます。しかし、この歌一つとっても、性的興奮を起こさせるようなものとは言い難いです。アルバムの命名からは、バンドメンバーの自己韜晦が伺われます。

求めるエロースから与えるアガペーへ

 Extremeの歌詞では、作詞したのが男性であることから、男性が女性に対して、「愛してる」以外の愛情表現を求めているといえます。具体的には、身体的な接触を求めています。二人の愛は、自分にとって何らかの価値があるから愛する愛―エロース―です。
 一方、羊文学の方は、作詞したのが塩塚であることから、女性が身近な友人や多くの人たちに対して、一方的で絶対的な「愛」を示そうとしています。具体的には、そばによりそいたいと言っています。こう考えるようになったのは、常に自分によりそってくれる神に倣おうとしてです。描かれるのは、神の愛を起点とした、一方的で絶対的な愛―アガペー―です。
 「More Than Words」は、男性の作詞者が、求めるエロースを描くために用いた言葉です。約30年たって、女性の作詞者が同じ言葉を、神の存在に支えられた、自ら与える愛―アガペー―を描くために用いることで、getからgiveへと言葉の意味を書き換えて見せたのです。

「羊文学」の基調音

 2023年12月6日―この日は私の誕生日なのですが―に発売された4番目のフルアルバムのタイトルは、『12hugs(like butterflies)』で、この中に「more than」も入っています。アルバムには12曲の楽曲が収められていますが、12曲を通して、羽のある蝶のように、遠くにいる人のところにも羽ばたいていって、抱きしめたい、という塩塚の願いがわかります。アルバムのタイトルは、「more than」の歌詞と通底するものを持っているのです。 
 23年に9月から10月にかけての全国ツアーのタイトルは、「if I were an angel,」です。翼のある天使だったら、遠くの人のもとにも羽ばたいていってよりそえるのに、という、フルアルバムと同様の願いが込められているのでしょう。
   22年にリリースされた三番目のアルバム『our hope』に収録された、その名も「キャロル」では、こう歌っています。「スーパーヒーローになって、奇跡のドア開いて 遠くの街の彼も、隣の君のことも 同じ強さでハグして大丈夫だって笑って 寂しい夜があればいつだって飛んでゆく なんて、言えたらな」「ねえ、サンタクロース教えて、奇跡は僕にも起こるかい? 泣いている子供達も、不安な君のことも 同じ強さでハグして大丈夫だって笑って 小さな道標をかれらの彼らの枕元に」と。ここでも、イエス・キリストのように、人々を愛し、励ます存在でありたいという願いが表現されています。「キャロル」で表現した願いを、教養小説風に仕立てたのが「more than」といえるでしょう。
 こうして見てきますと、「羊文学」は、音楽で人々に寄り添い、エンカレッジする存在でありたいと願っていることがわかります。塩塚がイエスに倣い、その名の通り、「地の塩」としてどのような音楽活動を行っていくのか、見守っていきたい、そう思っています。


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