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読書感想~近代日本住宅史~①

本来の目的からの脱線

今回は「図説・近代日本住宅史 幕末から現代まで」を読み進める中で、
感想というか、自分のメモ書きを公開します。
『しっかりインプットするにはアウトプットを意識せよ!』ってどっかのビジネス本でも書いてあったのを思い出しました。


ようやく2記事を書き終えた早々、本来書きたかった事から脱線ですが、
これには訳があります…。

サッシの記事を書こうとしたところ、住宅の歴史の知識が無さ過ぎて、
中々手が進まない事に気付きました。

大学時代になぜもっと勉強しておかなかったんだと、
ここでも非常に後悔したのですが、まずは基礎を固めようと
脇道に逸れる事を決めました。

息子のおかげで15年ぶりの図書館へ

近代の日本の住宅の在り方を勉強しようにもいろんなサイトを見たところで、中々良いページが見つからのに加えてディスプレイ上では身に入らず、本を買うにもお金がかかる事を憂いていました…
ちょうどそんな時、家の絵本を読みつくした息子(1歳半)のために、
図書館に行ったのですがここで驚きました

建築の本がたくさんある!しかも無料!


はい。
当たり前ですね。小学生でもわかる事です。

しかし、スマホにパソコンが当たり前で過ごしたここ十数年…
図書館の存在などすっかり忘れていました。

気付かせてくれてありがとう…息子よ…

ってなわけで、良さげな本を見つけましたので、
今回感想文とメモ書きにnoteを活用させてもらいます。


題材本について

今回感想を書く本は、
幕末から近代までの日本住宅の変動を、実際の図面を用いながら説明されている大変わかりやすいかつ分厚い本となっております。

図書館に置いているぐらいですので、発刊は2001年と少し古め。
ただ、2000年以降の22年の歴史は身をもって体験しているので良しとします。

江戸時代~

・鎖国終了後に西洋人が住む居留地が
 長崎、神戸、新潟、函館、横浜に設定された。
 └長崎のグラバー邸は浪人時代に友達と旅行に行った際に寄った記憶が…
  当時は大きい古い洋館としか見ていなかったが、学んでから行けば
  良かったと後悔。

・居留地は外から眺めるだけの存在だったが、宣教師や帰国者の住居は
 むしろ住民へ開かれ、当時の人にとっては貴重な他国の文化を学ぶ場
 となっていた

明治~

・江戸から明治に入ると、後の迎賓館、後楽園、市谷自衛隊などを
 代表とする武家地が解体(一旦明治政府が没収、再分配)

・再分配する際に、大手町はオフィス街、日当たり良い三田、高輪、麻布
 などの高台は高級住宅地として基/本レイアウトを決定した。
 (港区女子は明治政府が決めたってこと?)

・度重なる大火災のために、商店街の防火対策に政府は必死になった
 『不燃化に2年以内に応じない家屋は取り壊して、その費用を徴収する』
 と言った今では考えられない強力な制限があった…
 防火構造については当然建築をする身としては切っても切れない
 関係だが、
 現代において、そこまで厳しくする必要があるんかなと思ってた節も
 あったが、ここら辺に源流を感じた。

・明治の庶民の都会の暮らしは長屋の賃貸。住宅の9割がなんと賃貸。
 戦前までこの数値は続くが、全てアパートというわけではなく、
 一戸建て賃貸も普及していた。

・生活環境は当然劣悪。
 台所・便所・井戸は共有。
 台所を付けた長屋が現れるのは震災後に上下水道が普及してから。

・残り1割の内の上流階級は、明治天皇が筆頭に洋風文化を積極的に
 取り入れた一方で、和式を重んじる傾向にもあり、接客は洋風、
 生活は和風、洋風は新時代への適応へのステータス。逆に和風は旧時代の 
 力の誇示、と組み分けていた。
 └現代でも日本ならではの~とか、そういううたい文句でプランや建材を
  作ることがあるが、洋風文化が入った直後からそういった動きは
  あったと自分なりに発見

・戸建ての間取りは、主人と客人優先。他の家族の部屋は何でも部屋と
 称して北側に押し込むといったところ。
 これに対して、もっと家を家族のためと考えよう!と欧米帰りの人達が
 出版書などで声を上げた

・上の動きもあり、和式前提であった(廊下はは無しで各居室襖で繋がって
 いる。全てオープンすれば大宴会場)という間取りが、共同の中廊下を
 中心に置く、各居室の独立性を保てる洋式の間取りに明治末期1910年から
 急速に普及する

・「あめりか屋」という住宅専門会社が一瞬輸入住宅事業をスタート。
 採算合わず、一式輸入は中止になった。
 └自分も輸出輸入を少し齧ったことがあるが、あんな難しい輸入住宅が
  こんなに早く完成されていたとは驚き。

・日露戦争後の商店はアールヌーボー(曲線)、ゼツェッシオン(幾何学的)といった新様式が浸透した。

大正~

・明治以降の欧米文化の混入から来る和洋折衷の二重文化生活に対して、
 目指すべき生活を模索する博覧会が行われた。
 その中で台所などが機能性を高めたものなどを展示。
 └物を和と洋の二種類ずつ買ってたらお金かかってしゃーないから、
  もっと良い生活様式を考えましょうっていう博覧会

・上のような博覧会、展覧会がある後、
 文部省にて「生活改善展覧会」が実施される。 
 将来的な住宅の方針として、6つの方針を掲げた。
 ・椅子座
 ・家族本位
 ・実用的な設備
 ・実用的家庭庭を設ける
 ・実用的家具
 ・共同住宅及び田園都市を奨励

 └大正の時点で建てられた方針が現代に非常にマッチしている。
   企業の利益は無く、国策で今の生活の在り方が形成されていたのに少し
   感動。

既に借り始めて2週間…いまだ三分の1しか進んでおらず、本当に読み切れるのかと不安になっております。
自分を自分で追い詰めるためにも、とりあえず途中ですが一旦UPします。



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