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「日本人は『やめる練習』がたりてない」を読んで

2024.6.16.
#43

マレーシアに移住してマレーシアで子育てをしている野本響子さんが生活を通して感じたことを書いている本。
序盤は「やめられない日本人」について書いているが、中盤から後半はマレーシアの良さや、自分に合った生活を選ぶことの大切さが書いている。

何でも足し算が好きな日本人。仕事は増える一方。私が勤務する自治体からは、「新政策の成果が見えないから、成果を見えるような努力をしてほしい」との通達があった。成果が見えないのは、政策が間違っているからとは言えないらしい。政治的ニオイがする。新政策を打ち上げて成果をつくれば実績になるもんね。効果が高いかどうかを検証して効果が低いものはやめることがなぜできないのか。


辛い環境には別の選択肢を

「得意なことは早くできる」
「時間を忘れるほど好きなことを仕事にしろ」

子供の頃は、何が得意で好きかわからない。
私が幼い頃没頭した恐竜も今はちょっと好き程度。
学校はいろいろな好きや得意を見つける場所。続けないとわからないことがある。

「継続は力なり」という言葉は私の好きな言葉の一つでもある。
でも、嫌な環境、人、ことで我慢し続けて、体や心を壊してしまうのはいかがなものか。
死ぬほど辛いのに逃げ道というか別の選択肢が残されていないのは、絶望しかない。
私の人生の目標は幸せになること、自分の手の届く人たちに幸せを届けること。
それを考えたら、別の選択肢を残してあげること、提示してあげることが大切だと思う。

気軽に試せる学校選択制がいい

親ガチャ、担任ガチャは、選択できない親や担任に対して「自分に合わなかった場合」に何が出てくるかわからない運用その強いカプセルトイに例えてこのように言われる。悲しいことだと思う。

でも、その子に合っている教育が何なのかを考えることができないことも多くある。
学習支援や特別支援学級が必要な児童に対して、保護者に支援の必要性を伝えてもなかなか腰が重い。

同質を求める日本の文化と気質、簡単に試したり変えたりすることのできないシステムに問題があると思う。
また、他者と比較することに慣れていることも原因だと思う。
「A学校はこんなこともしてくれる。それに比べてB学校はこれができていない。」

マレーシアは転校したり、習い事をやめたりすることが当たり前のようにあるという。
その子にあった教育を選び、試すことのできる(試してダメなら戻ることもできる)ようになればもう少し生きやすくなるのではないか。

国際社会に必要なのは、細やかな気配りより寛容?

「しょっちゅう怒ったりクレーム入れている人は子供っぽく、自分の感情がコントロールできていない『かわいそうな人』に思えてしまう」

マレーシア人はめったなことでは怒らないらしい。
多民族、多宗教国家だからこそ、
「あなたの考えは分からないし、分かりたくもない。でもあなたの考えはそのままでいいし、あなたのことを人間として尊重する。」
という姿勢が身についている。
分かり合えずとも、お互いに認め合う。
これぞ、多文化共生なのだろう。

日本人はどうしてもコンセンサスをとろうとする。
仕事なら必要だろうが、考え方や思想についてコンセンサスはとれない。

昭和時代は、日本人の細やかな気配り、精緻な作業が必要だった。
それが日本品質「Japanese Quality」だった。
でも、細かなことに気付けるということは、細かなことが気になるというここと。
電車の数分の遅れ、店員のささやかなミスにイライラしている私は、明らかに自分の感情がコントロールできていないし、そんな自分を恥ずかしく思う。
寛容って大事なんだよなあ。

まとめ

本全体を通して「辞める練習」というよりも「マレーシアでの生活のよさ」や「マレーシア人の魅力」について書かれている感じがした。
辞めるということより、主体的に選ぶということなのだろう。
そして、その選択には正解はないということなのだろう。
全員が同じ正解をもたずとも、自分で主体的に考えて、選ぶことができる子どもを育てたいと思った。
そこには、比較はいらない。
十人十色の正解があるのだから、比較する必要がない。
誰かにとっての正解(たとえば成功者、お金持ちなど)をなぞらえたところで、それは他の人にとっては苦行になるかもしれないのだから。

たくさん試して、選んで、自分の正解を見つけていくことが幸せにつながる。そんなことを考えるきっかけとなった本だった。

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