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本は速く多く読めた方がよいという呪い

#23
2024.3.19.

去年の目標は「年間100冊読むこと」だった。
かなり頑張ってみたが、記憶に残ったのは・・・
今日は「読書」について考えてみる。
あくまでも個人的な意見として。


「速読」の呪い

高校生だったか大学生だったか忘れたが速読術について調べたことがある。
きっかけはテレビで紹介されていた「本をぱらぱらめくって内容が理解できている人たち」である。
もう魔法である。
やり方は忘れてしまったが、斜め読みだったり、キーワードを抜き出したりなどいろいろあったと思う。
なぜやり方を忘れてしまったのか。
スキルとして自分の力になっていないからである。
もしかしたら専門的なトレーニングを受ければ身につくのかもしれないが、本の内容を深く理解したり、自分なりに再構成したり、記憶に定着させたりするには、どうしても「速読」は自分に合っていない気がする。
速く読めることに越したことはないのだが、読書の本質からはずれている。

「多読」の呪い

先日、友人のXに「2月末で100冊達成!」と書かれていてすごいなあと感心した。
1日2冊?このペースだと1年間で600冊。私にとっては超人の域である。
多読や並行読書は、本同士を比較したり、思考が偏らなかったりするので効果は大きいと感じている。
しかし、本の冊数を数えること、読書の冊数を増やすことが目的になっていないだろうか。
本屋に行って速読、多読をすれば、読書記録の冊数は増える。
本を多く読むことには意味があるし、多く読んだことや読めることは純粋にすごいと思えるのだが、それ自体が目的になってはいけないと思っている。

読書の目的

何のために人は本を読むのだろうか。
私は「知識を増やすため」「視野を広げ、視座を高めるため」と考えている。

①知識を増やすため

本はネット情報と違い、一つのテーマに沿って、筆者の考えや社会的事象を具体的な事例を織り交ぜながら構成されている。1冊の本を読むだけで、テーマについての知識が増える。すでに知っている情報でも、筆者と対話しながら読むので筆者の考え方、論の構成の仕方についても学びがある。

②視野を広げ、視座を高める

一つのものごとについてAという視点とBという視点に立って物事を見ることができる。立場が違えば視点も違う。多角的に物事を見ることができる。そうすると視野が広がってくる。視野が広がってくると、視座が高まって、物事を俯瞰して見ることができるようになる。

まとめ

読書の目的を忘れなければ、「多読」「速読」にこだわらなくてもいいと思っている。
「大切なことは、目には見えないってことだよ。」
は、星の王子様の中の誰かの言葉だったか。
多く読んだことにこだわらず、本を読む速さにもこだわらない。
自分の知識が増え、視野を広げ、視座を高めてくれる本であれば時間をかけてゆっくり何度もかみしめて読みたい。
それは1冊の本でなくてもよい。
その本の中の1ページかもしれないし、たった1文かもしれない。
記録よりも記憶に残る読書をしていきたい。

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