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空間知覚の理解”ベクション”「動く」のではなく「動かされている」,「目に見えるモノは不確実、それを見ている自分の意識のみが確実なもの?」


現在、日本では、
第4次産業革命の推進に向け、
革新的技術を核とした
イノベーションを生み出すべく、
ロボット、AI(人工知能)、IoTや
ビッグデータ等の新しい技術を活用した
様々な試みが進められています。


持続可能な社会をもたらすのは
政治でも各個人の意識でもなく、
基本的に「STEM」の重要性、
Science=科学
Technology=技術
Engineering=工学
Mathematics=数学
すべてのイノベーションは
技術から生まれます。
数学の知識が広ければ広いほど、
入ってくる情報は増え、


他方で、哲学と文学も
社会をどうデザインするのかを
夢想するヒントとして、
自分が判断に迷ったとき、
拠り所はそこにあると思います。


実世界において、
仮想現実、拡張現実等が
世の中に普及し、リハビリの世界でも
実用化が進んできている
「ベクション(ニッチな心の現象)」
(=視覚誘導性自己移動感覚)は、


静止している身体に視覚刺激のみを
提示することで、自己移動感覚を
誘発させることが出来ることが
知られています。
その錯覚をさして”ベクション”
という名称が使われています。


いつでもどこでも誘発できるため、
ゲームや映画で没入感を高めるために
使用されている他、高速道路の渋滞を防ぐ
走光型視線誘導システムや、
床に配置した特殊なレンズを用いた
公共施設の混雑を解決するシステム
としても活用されています。


たとえば、わかりやすくいうと
ユニバーサル・スタジオの
アトラクションの一つである
「アメージング・アドベンチャー・
オブ・スパイダーマン・ザ・ライド
4K3D」では、
ビルからビルへと飛び移る
スパイダーマンと一体となって
飛び回るようなベクションを
楽しむことができ、
仮想空間内を移動しているように
感じることができます。


他にも
停車している電車に乗っているとき、
目の前で別の電車が動き出すと
自分が動いているように感じる
ことがあります。
実際には止まっているのに、
自分が移動しているような感覚になる、
この意味から考えると
目に見えるモノは不確実であり、
それを見ている自分の意識のみが
確実なものとなります。


真っ暗なモニターの中心から
無数の小さな点が放射状に
動いていくのを見ると、
自分が宇宙空間を進んでいるように
感じることもベクションの一例です。


しかし、これらはそこにいる
体験者全員がベクションを感じるため、
個人が異なる目的を持つ場合、
ベクションの誘発が個人の活動に
悪影響を及ぼす可能性があります。
また、ベクションの感じやすさには、
個人差があり、個人差に対応して
ベクションの強度を調節することも
難しいようです。


科学史家
「トーマス・クーン」氏が
より狭い専門分野について
定義した
”パラダイム”が変わった最も
有名な一例の一つに、
天動説から地動説への変化が
あります。


ガリレオが地動説を唱えるまで、
多くの人々は地球の周りを
星(太陽を含む)が回っている、
つまり、
地球こそが世界の中心で、
太陽などの天体が周囲を動いている
と考えられていました。
それが人間の日常見ている
風景にも合致し、
理解しやすかったからです。


地動説という科学的な見解の登場により、
地球は世界の中心でも主体でもなく、
客体に過ぎないことが判明しました。
ベクションに見られるように、
人間も客体であって環境に動かされる
存在だということのようです。


私たちの二つの眼も水平方向に
ズレていることで、わずかに
異なった視覚世界を見ていますが、
私たちはその違いに気づかず、
一つに融合された奥行きのある
3次元視覚世界を知覚します。


たとえば、
二つの眼に全く異なった像、
「右眼に顔」「左眼に家」が
網膜上に投影されると、
一方の像が現れたり、
もう一方の像が現れたりと
ダイナミックな知覚交替を経験します。
このような知覚現象を
「両眼視野闘争」と呼びますが、


両眼視野闘争が生じるような状況は、
本当に日常の3次元視環境の中にない
のだろうかと疑問を持った科学者たちは、
”レオナルド・ダ・ヴィンチ”の
両眼視野闘争が日常の3次元視環境中に
含まれていることを示唆していた
文献の記述に注目しました。


ダ・ヴィンチは、後に、
「単眼ゾーン」と呼ばれる
新しい奥行き手がかりの存在にも
気づいていました。
すなわち、
ガリレオの地動説も、
レオナルド・ダ・ヴィンチも
地球規模の”ベクション”に
気がついた人物でした。


人は外界の事物を認知する際、
複数の感覚からの情報を組み合わせて
処理することで統一された世界を
知覚しています。
そのような多感覚統合に関する研究は、
数多くなされていますが、
人においては視覚が最も優位な感覚で
あるとされてきました。


そういった意味において
ベクションは、
身体から切り離されたような
クオリアにより近い現象で、
ベクションの強さは、
視覚刺激の受け手の感覚需要状態
によって変化し、
「視覚のみ」で身体感覚を
生み出すことができる題材であるため、
”バーチャルリアリティ”への
応用可能性が示されています。


決定論によれば、
この世のあらゆる出来事は、
その直前の出来事によってのみ
決定されるという考え方ができますし、
また、人間の思考や意識を含め、
この世のすべてのものは
物理法則に従っており、
そのため、未来も決定している
という言い方もできると思います。


一方、心理学は、
人間の行動を対象として、
それを科学的な手法で探求しよう
とする学問領域ですが、
「心」そのものは
計測・数値化できないので、
数値にできる「行動」を通して、
より本質的な「心」について
普通考えられています。


「行動」というと、
外部から眼に見える活動だけを
連想しがちですが、
”心理学”における「行動」は
もっと広義のものであり、
記憶、学習、思考などの外部から、
”眼に見えない”精神的活動も
含めた概念です。


したがって、心理学の扱う
人間の「行動」は非常に
多岐にわたるものです。


たとえば、
人間の感じる「明るさ」は、
光量と関係しています。
真っ暗な部屋にいて、
ロウソクに火を灯すとします。


すると最初が真っ暗闇の場合は、
たった1本のロウソクであっても、
そこにいる人は格段に
明るくなったように感じます。
ところが、
そこでもう1本ロウソクを加えて、
2本のロウソクでその場を照らす
ようにしたとします。


当然のことながら、
そこにいる人はさらに明るく
なったことを感じます。
しかし、1 本目のロウソクが
灯ったときほどの明るさの
増加には感じられません。


実は、物理的な視点からは、
これは不思議なことなのですね。
なぜなら、人間の眼に入る
光の量を考えてみると、
ロウソクが 1 本から2本に増えると、
ロウソクから放射される光量は
およそ2倍になるからです。


つまり、
光量という物理学的な尺度では
およそ2倍であっても、
「明るさ」という心理学的な尺度では
2倍にはならないのです。
この事実は、人間の心理的な
反応の原因となる物理的な
刺激の属性を特定したとしても、


それだけではどのような
心理的な反応が得られるのかが、
すぐにわかるわけではないことを
示すものです。


専門的分野にたどり着くまでに
必要な過程というのがありますよね。
私は将来、何をやっていいのか
よくわからなかったので、
なんとかこの世界を知ろうとして、
いろいろな本や映画を観ました。
その時期に学んだことが、
ふいに今やっていることに
つながるということが多々あります。


いろんなことを知るために、
いろいろなところに行ったり、
経験したりというのが
重要だと思うんですね。
実際、私自身もいろいろな
挫折感を味わってきました。


「つい楽をしたくなり、
挑戦や努力を避けがち」
「イライラしてカッとなることが多い」
「なかなか決断ができない」
感情系が優位になると
「楽なほうへ流される」
こういった傾向があるのであれば、
脳は「感情系」が優位になっていて、
「思考系」が十分に機能していない
状態だと言えそうです。


夢を見ているのに日常が
変わらない、人生に行き詰まり、
何者にもなれていないことに焦り、
何かを始めようとするとき、
実は、自分が
何も持っていないことに気づく、
そして一度絶望を経験する、


人脈がない、お金がない、
技術がない、必要な言葉が話せない、
諸事情で時間がない、自由が利かない、
「あるべき姿」に至るために
未知の世界を歩もうとしているので、
最初から完璧な武装しておきたい
気持ちになるものです。


けれども、何もないときにも
何かがあり、それこそが
自分なりの「あるべき姿」という
明確なビジョンと意志、
つくる未来のイメージです。


21世紀に入って、日々使う
サービスがどれだけ
変わったことでしょう。
世の中は問題にあふれ、
人々は未来に不安を持っており、
新たな解決策が待たれるばかりです。
しかし、感傷に浸っている間は、
コトは起きない、


感傷から脱出する方法は単純で
立ち上がって動き始めること。
人は座っているときにしか
感傷的にならない、
なぜならば、立ち上がって
動き始めると、感傷は止まるから。
感傷から脱出する方法は、
物理的に床や椅子から立ち上がり、
移動することですが、


自身の目指す「あるべき姿」の
理想が高ければ高いほど、
「あるべき姿」と現実の”差分”、
すなわち、課題は大きく、
難易度は上がります。
差分を解決するには、
小さな無数の課題を解決して
いかなければならず、
その過程において
最初あったワクワク感も
直面する挫折や失敗を通じて
減じていくものです。


アップルの創業者
スティーブ・ジョブズ氏は
アップル社から追い出され、
まだ戻れていなかった1995年の
インタビューの中で、


「すごいアイデアから
優れた製品を生み出すには、
大変な職人技の積み重ねが必要だ、
製品に発展させる中で
アイデアは変容し、成長する。
細部を詰める過程で多くを学ぶし、
妥協も必要になってくるから。

〜中略〜


同時に5000ものことを
考えることになる。
大量のコンセプトを
試行錯誤しながら組み替え、
新たな方法でつなぎ、
望みのものを生み出すんだ。

未知の発見や問題が
現れるたびに全体を組み直す。
そういったプロセスが
マジックを起こすのさ。」


今となっては故人となった
偉大な彼の頭の中を覗くことは
叶わないですが、
言葉や行動には課題の解決に
通じるものがあります。


大きな課題を解くには
多くの人を巻き込む必要が
あるものです。
でも、誰かひとりは常に全体像を
把握していかなければならない、
それは、他ならぬ、
「あるべき姿」を定めた
あなた自身であるということです。


あなたをいつでも応援しています。
ありがとうございます。


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