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日本音楽の故郷、声明の聖地。京都市左京区。リアルグーグルマップをゆく。

 京都大原は、比叡山を東に降りた先にあり、三千院をはじめ勝林院や来迎院が有名であるが、特に勝林院や来迎院がは魚山流声明の聖地として名高い。

声明

 声明とは、インドから中国、朝鮮、日本に伝わった仏教の儀式音楽である。奈良時代にはすでに中国や朝鮮から声明は伝わっており、当時は梵唄・讃と呼ばれ、日本音楽の源流である。

 13世紀頃、天台宗の湛智(たんち)によって「声明」という言葉を使われたことで広まった。声明と呼ぶのは日本だけで、声明自体は、仏教の開祖である釈迦の教えを弟子たちが暗記するために旋律をつけて覚えたのが始まりである。これについては、西洋音楽の記譜の始まりと非常に酷似している。国が違うと、こうも音楽の進化も変わるのかと驚かされる。

天台声明のはじまり


 天台声明は、天台宗の宗祖である最澄の弟子円仁によって唐からもたらされた。円仁は最後の遣唐使で、様々な困難を乗り越えて入唐し、山西省の五台山太原にて当時流行していた声明を学んだ。その様子は「入唐求法巡礼行記」として記され、世界三代旅行記の一つに挙げられている。

天台声明の聖地


 唐より帰国した円仁は、京都大原の地を訪れた際、自らが声明を学んだ山西省の五台山太原に風景が似ていたことから、この地を声明の修練道場として選び、魚山大原寺を開山した。

 円仁が7人の弟子に声明を分けて伝えたことにより、円仁以後、声明が分派した。その後、融通念仏宗の開祖とされる良忍が一つにまとめ魚山流声明として集大成し、大原に来迎院が建立された。これが魚山流声明修練道場の本拠地となる。それ以降、大原が天台声明の聖地となる。

魚山

 京都大原の勝林院、来迎院、三千院などがある一帯を魚山と言い、この地が天台声明の聖地であることは先に述べたが、この地を魚山と呼ぶことから、声明のことを魚山という代名詞で呼んだ。魚山とは、元々は中国梵唄の発祥の地とされる中国山東省東阿県にある地名である。

 名前の由来は、仏教の世界観に世界の中心に九山八海に囲まれた須弥山という山があり、その中に尼民達羅という山があった。この山の形が海中の魚に似ていたことから尼民達羅を魚山と呼び、東阿市にある丘陵が魚の形に似ていたことから魚山という地名が名付けられたとされた。

 中国の古い文献に「魏の曹植が、かつて東阿を臨む魚山に登って誦経の声を聞いた」という逸話があり、この逸話と結びついて中国梵唄の発祥の地とされている。つまり、日本における魚山という言葉には、声明にとって歴史的価値を有する重要な意味が込められているのである。

大原という地名

 大原はもともと「小原(おはら)」と呼ばれていたが、平安期頃から「大原」という文字が見られるようになり、円仁によって名付けられた大原寺が由来ともされている。そうであれば、円仁は大原寺の由来を自らが声明を学んだ五台山太原から取ったとも考えることができる。

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