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佐渡島へ流刑となり佐渡島で亡くなった84代天皇 順徳上皇の火葬塚です

トップ写真 佐渡島にある順徳天皇火葬塚 広いです


隠岐の島へ流された後鳥羽上皇

隠岐の島シリーズで登場した後鳥羽上皇。
院政を敷いていた元天皇。
鎌倉幕府討幕の旗を挙げましたが、
予想に反して、朝廷側に味方する武士は少数。
あっという間に、
京の都は幕府側に占領されました。

後鳥羽天皇は隠岐の島へ島流し。
現在、隠岐神社がある地で崩御。
今も火葬塚が残っています。

隠岐の島にある後鳥羽天皇火葬塚
後鳥羽天皇を祀る隠岐神社

佐渡へ流された順徳上皇

そして今日、ご紹介させていただく神社。
佐渡島にある真野宮という神社です。
第84代天皇、順徳天皇をお祀りする神社です。

順徳天皇を祀る真野宮(佐渡島)

後鳥羽上皇の第二皇士子であった順徳天皇。
父、後鳥羽上皇の討幕計画に積極的に参加。
承久の乱に備えるために、
皇位を皇太子に譲っていたので、
承久の乱の時には順徳上皇。

討幕の首謀者の一人であった順徳上皇。
鎌倉幕府は順徳天皇を佐渡島へ島流しにします。

父、後鳥羽上皇は隠岐の島へ。
子、順徳上皇は佐渡島へ。

天皇を経験した二人の上皇。
同じ時期に島流しとなっていたのです。

父、後鳥羽上皇は以前、書いた通り、
帰京の願い叶わず、隠岐で亡くなりました。

さて、佐渡へ流された順徳天皇の生涯。
どんなものだったのでしょうか。

佐渡へ向かうのも過酷な道のり

島流しを命じられた順徳天皇。
京の都から佐渡島へ向かいます。

意外にも供は4名と女房が2名。
という寂しい構成。
ここでいう女房とは奥方のことではなく、
この時代、高貴な人に仕え、
お世話をしていた女官のことです。

供を命じられた男衆4名のうち、
一人は京に残って帯同せず。
一人は病気になり京へ戻り。
一人は、
佐渡へ渡る前の港近くで亡くなりました。

京の都から佐渡までの行程。
最後は船でしょうが、
ほとんどが歩きであったそうです。
順徳上皇もお歩きになったのでしょうか。

供の者が病気になったり、
亡くなったりするくらいですから、
本当に過酷な道のりであったのでしょう。

順徳上皇の火葬が行われた場所

そんな苦労の末に辿りついた佐渡島。
用意されていた行在所は、
とても粗末なものでした。
が、流刑の身。
順徳上皇はそこで過ごすしかありませんでした。

日々、帰京の願いを込めて、
歌を詠んだりして暮らされていたようです。

そして、流刑から21年が過ぎた1242年。
順徳上皇は帰京の願い叶わず、
佐渡で生涯を終えられました。
享年46歳でした。

亡くなられた翌日には、
火葬が行われたそうです。
そして、今も順徳上皇の火葬塚。
佐渡に残っているのです。

真野宮入口
順徳天皇 御火葬塚

現在は、真野宮と称し、
拝殿、本殿共に神社の形容。
ですが、明治維新後の神仏分離の頃まで、
真輪寺さんという寺が管理していました。

その後、明治7年。
廃仏毀釈を経て、県社と認められて
真野宮と改称。
ということは、寺が神社になった。
そういうことなのでしょうか。

今は、宮内庁管理となった火葬塚。
しっかりと整備され、
凛としたたたずまい。

宮内庁管理

現在、火葬塚は残っている真野宮。
ですが、お骨は京都にある順徳天皇陵へ。
移されているようですが、
順徳上皇が過ごされ、
火葬が行われた火葬塚。
一見の価値がありますよ。

神の遣いか?目の前にトキが降臨

現在の社殿は大正9年に建てられたもの。
昭和17年の700年祭りの際、
鳥居他、神域が拡張され、
現在に至っています。

大正9年築の社殿
行在所跡

境内には横穴式古墳があります。
6世紀頃の古墳で、
えぞ塚と呼ばれていることから、
蝦夷人が渡来していたものと思われます。

境内に移築された古墳

他、珍しいことがありました。
私が車を停めようと、
駐車場に入ろうとした時、
一羽の大きな鳥が、
私の車の目の前に現れました。

うわっ!大きな鳥やな~。
と、行き過ぎるのを待ちながら観察。
すると、その鳥はトキだったのです。
今や絶滅危惧種となり、
大切に保護さえているとはいえ、
目の前にトキが降り立ってくるという幸運。

嬉しい出来事でした。
残念ながら、写真は間に合わず。

最後に、偶然見つけた面白い神社?
載せておきます。
椿尾の弁天岩と奇石。
弁天様をお祀りしており、
看板にはパワースポットと書いてました。

弁天岩 車で走ってても つい止まってしまう存在感
パワースポットらしいです

佐渡へお越しの際は、
真野宮と併せてご参拝くださいね。

いろいろありながら継承されて来た天皇家の歴史

令和天皇陛下は第126代目の天皇。
順徳天皇は84代目。
初代が神武天皇として、
その前は神代の時代。

長い歴史の中、
時代のいたずらというのか。
悲運の時代の天皇。
居たことを知っていただければ幸いです。
同時に、近くへ行かれる際には、
是非ともご参拝くださいね。

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本日も最後までお読みいただきありがとうございます。


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