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グラハム・セントラル・ステーションの2枚



 ラリー・グラハムが8月14日で77歳の誕生日を迎えたそうだ。
最近あまりニュースを聞かないが元気なんだろうか。
2023年8月16日



 グラハム・セントラル・ステーション(以下GCS)ばかり聞いていた時期がある。大学2年の頃だ。底抜けに明るいファンクもあれば、地響きの轟くものもある。スライ&ザ・ファミリーストーンの頃のラリー・グラハムとは一味違ったファンクサウンドである。

 スライはウッドストックの頃が躁状態のファンクであり、時代も黒人復興に燃えていた。そこへベトナム戦争の終結や、やり場の無い敗北感がアメリカを包み、スライ自体も『STAND』(1971)で燃え尽きてしまった。『STAND』は全米で大ヒットしたが、明るいファンキーさは微塵も無く、自閉的な黙り込むファンクである。そして、スライの精神状態が崩れ、バンドの要ともいえるラリー・グラハムを解雇してしまった。この決断にファンは驚き、みんなスライから離れていった。  
 そんなラリー・グラハムはGCSを結成する。スライ時代では得意のチョッパー・ベースと低音のボーカルでスライをサポートしていたが、GCSではそれを前面に押し出していった。ラリーは、ベーシストであれば知らない人はいない「チョッパー・ベース」(スラップ・ベースともいう)の生みの親とも言われている。ルイス・ジョンソンの方が先にチョッパーをしていたという説もあるが、一般的に広めた(セールス面)のは、ラリーに他ならない。また、根本的にラリーのチョッパーとルイスのチョッパーは別物で、ルイスやマーカス・ミラーのチョッパーは親指で弦をはじき、プリングオンやオフを繰り返し、流れるようなフレーズで、テクニカルに聞こえることが特徴だ。しかし、ラリーのそれは、親指でベース、人差し指でスネアの役割をもち、弦をはじくことでベースとドラムを同時に演奏している、つまりそこにリズムが存在しており、フィルイン程度に使われるチョッパーとは考え方が違うのだ。
 さて、このGCSだが、1974年から1979年までが本来の活動期間である。短い活動期間の原因としては、時代と共にブラックミュージックの細分化が始まり、ファンクブームが下火になったことや、ディスコサウンド、打ち込みサウンドなどの流行が生楽器を食い荒らしてしまったことによるものが大きい。
 GCSは、アルバムのCD化に伴い、1992年頃に再結成をし、初来日を果たしているが、新作は出ておらず、ライブのみの再結成となっている。
僕は、彼らの3回の来日の公演を全て見てきているが、単純明快、とにかく楽しい。ベースソロを弾きながら会場を練り歩き、地響きのようなエフェクトをかけて(ディストーションやフランジャー)リードギターのように操る。ジミヘンのような荒っぽさもあるが、しっかりとしたショーマンシップがあり、決して独りよがりな演奏はしない。ちなみに僕のカミサンは臨月でライブに参加し、練り歩いていたラリーを呼び止め、出っぱったおなかをさわってもらっていた。その2週間後に長女は無事に生まれた。

 ラリーはいつもにこやかに、音楽を心から楽しんでいるようだ。ラリーを始め、メンバーも結構な年齢(60歳前後)だが、いまだにパワフルなファンクを楽しませてくれる。ゴリゴリのファンクの新作が聴きたいなぁ。
 GCSのお勧めは、7枚全部といいたいところだが、セカンドアルバムの 『RELEASE YOURSELF』(1974・邦題:魂の解放)と5枚目の『NOW DO U WANTA DANCE』(1977・邦題:ダンス!ダンス!ダンス!)の2枚。リラックスして聴くことが出来る。ファンク入門としても最適。

魂の解放
ダンス ダンス ダンス

 それから、日本の70年代の歌謡曲が、いかにここらへんの音楽をパクっていたかがわかるよ。特にアレンジ面でのラッパやベースラインの動き方など、訴えられても返答できない作品がいっぱい。皆さん、本物をききましょう!

2005年6月25日
花形

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