見出し画像

はじめてのライブハウス


 今は毎月のように都内のライブハウスに出ています。
学生の頃からやっている事が変わってないんですな。
音楽性は変わりましたが、リハして、ライブやって、なんてことを40年以上やっています。
2024年6月




 昔のライブハウスの敷居は、今よりかなり高かった気がします。
当時は今ほどライブハウスの数もなかったから、バンドマンは狭き門を一生懸命くぐろうとしたのかもしれません。

 今から35年前くらい・・・1980年あたり・・・私の高校時代、ライブハウスに出る友達なんていませんでしたね。ライブハウスは、プロのミュージシャンを観に行くことはあったとしても、我々が出るところではなかったです。だから、今の高校生がライブハウスをパーティー会場にしたり、それこそ高校生バンドが何組も出演したりしていると隔世の感がありますな。
ですから、ライブハウスとはそんな場所だったので、アタシが初めてライブハウスに出た時・・・それはそれは驚きの連続でありました。
 
 アタシは大学に入り、音楽サークルに席を置きのんびりとドラムでも叩いて過ごそうかと思っていたのですが、ひょんなことから先輩のバンドに入れられ、エレキギターを担当することになってしまいました(この話はアタシの『はなっちの音日記「オイラはドラマー・・・」、「輸入ギターについて」』に詳しいっす)。
当時のアタシはフォークギターこそ弾き語りレベルで弾ける腕前はあったと思いますが、エレキギター、しかもリードギターなんて、あーた、全然やったことない。しかもそもそもエレキギターを持っていない。そんなアタシに何故エレキギターを?と思いながらも先輩の言うことは絶対でありましたので目を泳がせながら頷くしかありませんでした。
 さて、そんなこんなでギターも購入し(ギブソンSGだよ、ビンテージだよ、父ちゃんを無断で連帯保証人にしてクレジットで買っちゃった!やる時はやるのよ)、エフェクターも買わなくちゃということで歪みものはBOSSのロッカーディストーション(これ名機だったなぁ。ペダルで歪みが変えられるんだぜ)、空間系はローランドのSDE1000(ラックのディレイですな。アタシ、コンパクトエフェクターってあんまり好きじゃないのよ。シールドに刺さってる小さい箱って引きずるとなんか犬の散歩みたいでしょ。とにかく「ギターマガジン」とか一気に読みまくって当時揃えられる最善を尽くしたのさ)を揃え、先輩のバンドに参加したのであります。
 アタシの指はフォークギターに慣れていた指ですから運指は遅いわ、強く指板を押さえるから柔らかいエレキの弦に四苦八苦しました。
「お前のギター、チューニング合ってるか?なんかピッチ悪ぃぞ!」と先輩から怒鳴られ、
「いや~チューニングメーターであわせてますからね~」とか応えながらポーンとギターを爪弾くとジャストチューニング。
先輩は首を傾げ、「お前の弾き方が悪ぃんだな。もっとちゃんと弾け!」とか言われる始末。

 アタシは心の中で『だから何で俺をエレキギターで誘ったんだよ!ドラムだったらチューニングも無いし(実はあるのよ)、楽だったのになぁ~』なんて思いながら、引きつった笑顔で「がんばりまっす!うっす!」なんて言いながらやってました。

 人間やる気になればなんとかなるもので、そこそこ練習はしましたが、当時からはったりだけは効かせるテクニックを持ち合わせていたアタシは、何となくエレキギターの重責をこなしていったのであります。
当時の我々の発表の場は学校のサークルですから当然学内。大講堂を貸し切って学生相手に披露することがいいところです。
 ようやく柔らかい弦にも慣れてきた頃・・・エレキを弾き始めて2ヶ月位・・・アタシを強引に誘った先輩がサークル内のバンドとは別のバンド(つまり学校外で活動しているバンドですな)にギターの欠員が出たからお前入れ、と言うのです。
ちなみにアタシはちょっと調子に乗っていた頃だったので、別の先輩からのバンドの誘いもあり、そのバンドに加入することも決定していました。

 しかし、最初のバンドに誘って頂いた強引な先輩(強引先輩)の命令には従わなければなりませんので、学校外のバンドにも入ることになりました。
ちなみに、私を誘う2名の先輩は2名とも完全プロ志向の人で、音楽のことやいろいろなことを教えてくれましたが、唯一ギターの弾き方だけは教えてくれませんでした。なんで?
さて、その強引先輩のバンドはオリジナル中心で、カバーをやるとしたら全てブルース・スプリングスティーンでした。
 時は1985年。『ボーン・イン・ザ・USA』(1984)でブルースは調子に乗っていた時期であります。しかし、強引先輩も他のバンドメンバーもそんな『ボーン・イン・ザ・USA』には目もくれず、『明日なき暴走』(1975)や『リバー』(1980)といった埃っぽいロックンロールを好んでおり、ラインアップもその頃の歌が並びました。
私は手渡されたブルースのソングリスト5~6曲。オリジナルの譜面7~8曲を見ながら
「これいつやるんですか?」と質問。
「うん?今度のリハまでにやってきてよ。ライブハウスのブッキングはこっちに任せろ。あー、ノルマとか気にしなくていいから・・・」

強引だ。今度のリハって4日後じゃん。しかも、22時~24時というめちゃくちゃなスタジオの取り方・・・。強引だ。強引だ。強引だ。

 私はその強引先輩のことはとても好きな先輩だったんですよ。ホント兄貴みたいな感じで・・・。でも、正直、バンドを3つもやってると力の入り具合や優先順位がプレイに出てしまって・・・恐る恐る脱退を伝えたのであります。
「なに!?そっちのバンドの方がいいってことか?そんなにいいのか!」と言われたとき条件反射のように
「そりゃ、もう!」と応えてしまい。『しまった!』と思いましたが、あとの祭り。
強引先輩から返ってきた言葉は笑いを噴出しながら・・・
「そりゃ、もう!か!・・・よし、わかった。じゃ、これだけは許してくれ。もう、ライブハウスには話を通してしまっているから。出ることが決まっているからキャンセルはできないのね。そこまで付き合ってくれ。年末までに2回ある。それでいいか」
私は頭を下げ、初めての「ライブハウス」という言葉に緊張しておりました。

 私が最初に出演したライブハウスは西荻窪にあったWATTS。今から11年前の2005年11月で閉店してしまったライブハウスであります。

西荻窪WATTS


 狭い楽屋に3つのバンドが詰め込まれ、出演前に化粧を決める女やヘアスプレーをバンバン吹きまくる男。出番前からかなり酔っ払っているジャンキーみたいヤツが蠢く妙な場所でありました。私は緊張しながらもポーカーフェイスで立ちすくんでおりましたが、そんなところを強引先輩に見抜かれ、バカにされておりました。
ギターアンプはライブハウスの備え付けを使用しました。マーシャルとローランドのジャズコーラス・・・どちらも好きなアンプではなかったのですが、リハーサルスタジオで使ったことがあるジャズコーラスを選びました。サウンドチェックでアンプの調整をしましたが、やはりこのアンプ、私の好きな音が出ない。ヴォリュームをちょっとでも上げるとピーヒョロヒョロヒョロと横笛のようなハウリングが出る始末。『いっつもそうだよ、このアンプ・・・ヴォリュームレベルが2とか3とかって・・・おかしくない?ミリ単位のヴォリュームってどうなの?』なんて思いながら冷や汗をかいていました。『きっとPAの人は嘲笑してんだろうな』なんて思いながらね。
出番であります。サウンドチェックの時もかなり緊張し、モニターの音なんて殆ど聞こえていなかったのですが、もうここまで来たらそんなことも気にしてられません。とにかくベースとドラムの音を聞くことに注力し、無我夢中のプレイでありました。
途中、『照明が当たると客席って見えないもんだな』とか、『ヴォーカルがMCをしている間は、ただ突っ立っていればいいのかな』とか、しょうもないことをひたすら考えておりました。これがライブハウス初出演の感想です。あっという間の40分でありました。地に足が着いていないということでしょうね。

 そしてそのバンドと2回目のライブハウス。つまり今日でお別れね~の演奏。
場所はなんと新宿LOFT。まだ西新宿にあったころのLOFTであります。

新宿LOFT

『いや、あーた、LOFTなんて名門ライブハウスに私みたいな素人が出ていいのですか?!』なんて思いながら、いつものポーカーフェイスで「おはようございまーす」なんて言いながら店内に颯爽と入っていったのであります。するとモヒカン刈りの大男がジャックダニエルをラッパ飲みしていたり、リスカ跡が痛々しい戸川純の従姉妹みたいな女の子が中空を仰いでいたり・・・あれれれれ、アタシ、場違いだなぁなんて思いながら強引先輩を探したのであります。そして、このライブハウスも名前の割りに楽屋は超絶に狭く、3つもバンドが出演となれば殺気立ってきます。
アタシは平和主義者なのでそんな陣地取りみたいな事で争ったりするのは嫌なのでさっさと荷物をおいて外で一服してましたがね。
 で、サウンドチェック。またもや恐怖のジャズコーラスが鎮座ましましておりますでやんす。
『ひょ~え~!また、お前か!終わった。・・・とっつあん、燃えたよ、燃え尽きた、真っ白にな・・・』なんて気持ちになりやした。
恐る恐るシールドを突っ込み、ゆっくりヴォリュームのメモリを上げました。そのジャズコーラスはいつも使っていたJC120よりも大きなJC160という高出力のモデルだったので、『そりゃあハウリング祭りだわ』なんて気分でメモリを1から2~3位に動かしました。
ピンピン。弦を弾くと大きなスピーカーが4つ搭載されたアンプから可愛い音が出ます。
「おおっ。こ、これは・・・」口走る私。
ディストーションを踏み込み大きな音を出そうかと思った瞬間、PAのトークバックが話しかけてきました。
「あの~ヴォリュームそんなもんですか?それ、最高レベルですか?」
「えっ?はい?あの~ハウっちゃうかな~?大丈夫かな?あれれれ」焦るアタシ。ド緊張。
ギターのヴォリュームを最大にしてジャズコーラスJC160のつまみを上げてみました。
グォーン!というドライブした音が出る。全然ハウらない!
「えーっと、これで・・・」とアタシ。
「はい。OKです。ちゃんと音、出るじゃないですか。シールドかなんかの不具合ですか?・・・じゃ、始めてください。あとはこっちで調整しますから・・・」・・・いい人だ。
アタシは後にも先にもこんなにすばらしいジャズコーラスに会った事はありません。とにかく、気持ちよいクリーントーンでエフェクターのノリも良いすばらしいJC160だったのれす。
 持って帰りたいと思ったもんなぁ。・・・でけぇよ。

 LOFTの白と黒のチェックの舞台。ちょっと前までは、客席からシナロケとかARBとか暴威とか見てたのに、自分がそこに立っていると思うとなんだか不思議な感覚になりましたね。別にプロでもないのにこんなところに立っちゃっていいのかしら、なんてね。
 強引先輩とのバンドは綺麗にその新宿LOFTで終わりました。
その先輩はその後、サックスプレイヤーとして様々なミュージシャンと共にLOFTからホール、果ては武道館まで上り詰めるんですが・・・、それはまた別の話であります。
 
 新宿ロフトが今年40周年を迎えたそうであります。今は場所を歌舞伎町に変えてしまったようですが、老舗のライブハウスの名前は消さないで欲しいですね。
好きなライブハウスって油断してるとどんどん無くなっちゃうからね。

2016年11月28日
花形

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?