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『思いっきり気障な人生』 沢田研二


 僕はGSブームの時のタイガースは知らない。ソロになってからのジュリーしか覚えていないが、あの頃のアイドルシンガーの中でジュリーのオーラが一番強かった気がする。見た目に中性的な魅力があり、マーク・ボランとかぶってしまうが、話すと京都弁を話す気さくなお兄ちゃんになってバラエティー番組にも出演していたから尚更だった。
 GSブームの王者、タイガース解散直後は萩原健一や井上尭之らとPYGというロックバンドを組むがGSとロックと歌謡曲の中間に位置したこのバンドは方向性が定まらず、短命に終わる。ジュリーは直ぐにソロシンガーとして歌謡曲の世界に飛び込み、タイガースの頃の華やかさを持ちつつ、ワイルドになっていった。これは、バックバンドに井上尭之バンドをセレクトしたことで、泥臭さも備え持つロック重視の方向性を生んだ結果だった。
 井上のブルージーなギターは、ジュリーの歌の幅を広げた。「君をのせて」「危険な2人」のような歌謡曲ぜんとした作品から「追憶」「時の過ぎ行くままに」といったバラッドまで、井上尭之バンドとのコラボレーションが生んだ作品は多く、極めつけは歌謡大賞、レコード大賞を総なめにした「勝手にしやがれ」だろう。1977年のことだ。
 第8回日本歌謡大賞は、日本武道館で開催された。大賞受賞後、井上尭之バンドは涙で崩れそうになるジュリーのサポートをしっかり行なった。声が出なくなりそうになると井上がアイコンタクトでバックにヴォリームを落とさせ、メリハリのある演奏が続く。武道館のアリーナは全員ジュリーファンじゃないかと思うくらい両手を上にかざし、エンディングの“あーあー”というコーラスを大合唱していた。

 『思いっきり気障な人生』(1977)は、大ヒット曲「勝手にしやがれ」「憎みきれないろくでなし」「サムライ」を含むヒットアルバム。音楽を大野克夫が手がけ、井上尭之バンドの演奏。ジュリーのノリに乗ったヴォーカルはとどまるところを知らない。特に「今夜はあなたにワインをふりかけ」はジュリーらしいゴージャスさも醸し出し、このアルバムタイトルが実感できる。“気障”なんて言葉が堂々と語れるアーティストはジュリーしかいなかった。そして、このアルバムからは、いまだにジュリーのライヴで必ず演奏される重要な作品が多い。
 その後、ジュリーは“渚のラブレターバンド”改め“エキゾチックス”と行動を取るようになる。井上尭之バンドとは180度路線が異なり、時代の最先端の音を出すこのバンドは、ベース・吉田健とドラム・上原-ユカリ-裕のコンビネーションが光っていた。また、ギターの柴山兄弟はテクノデリカルなエフェクトで尖った音作りを率先して行い、コンピューターミュージックに対応した。ちょうどテクノとパンクが入り乱れ、男も化粧することに違和感の無い時代になっていた。ジュリーはいち早くその波を取り入れ、「TOKIO」「ストリッパー」「麗人」「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」など井上尭之バンドでは再現できない音楽へと変革していった。

 テレビの音楽番組の衰退とともに歌謡曲の歌手たちは、俳優に転向する人、バラエティーのタレントになる人、ディナーショー専門の人など路線変更を強いられ、昭和の歌がブラウン管から消えていった。ジュリーも舞台や映画出演が多くなっていった。でも、彼は生まれもってのシンガーである。今でもアルバムを製作し、毎年コンサートツアーを開催している。
 昨年、井上尭之バンドのコンサートを観ていたとき、井上が客席にジュリーを見つけた。舞台上から手招きし、即興で「時の過ぎ行くままに」を披露してくれた。歌い終わると、ジュリーは恥ずかしそうにそそくさと自分の席に戻っていった。歳を重ねたジュリーの歌声は重みがあった。もう一度、井上尭之バンドと一緒にやったら、面白いかもしれないな、と僕は思った。あの頃のジュリーの歌を今のジュリーで聴いてみたくなった。渋さが増したオーラがあるのだろうな。

2005年12月21日
花形

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