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CS&Nを爪弾いた楽器屋


約20年前に書いたブログ。
高校を卒業したあたりの不安定な精神状態の時、CS&Nは心の拠り所だったかな。
2023年10月15日

 高校3年の1年間は今までで一番音楽を聴いた年かもしれない。昼飯を抜いた金で中古レコードを買い漁り、FMでエアチェックしたカセットテープをいつも繰り返し聴いていた。この頃に聞いた音楽はいまだに自分の重要な位置を占めており、そこが自分の音楽の基準となっていることも否めない。要は学校も自由登校になり日々の勉強への締め付けも減り(みんな受験勉強というやつをしている)、僕のような宙ぶらりんの生徒にしてみると非常に時間が自由に使えたのだ。
 高校を卒業し、長い長い春休みが始まった。もっと時間が自由に使えるようになった。僕の友達はほとんど代々木や駿河台に勉強の場を変えていた。僕も流れに任せて代々木に通うようになった。でもそれも2ヶ月もすると足は代々木ではなく、御茶ノ水の方に向くことが多くなった。駿台予備校に友達が行っており、「代ゼミよりレベルが高くて良い授業をしているよ」と言ってきた。勉強には相変わらず興味が無く、代ゼミにしてもみんなが行くから付き合いで行っていたくらいだったので、そんなに言うなら違いをみてみるべぇということで参戦してみた。確かにレベルは高く、追いつけないほどのスピードであり、きびしい環境に落としこむにはもってこいの予備校という印象であった。予備校の授業が終わると、頭を休めるために決まって楽器屋に直行していた。お茶の水は楽器屋天国なのである。明治大学の学食で安いランチを食べた後、御茶ノ水の坂の上から靖国通りまで坂を下る。その間に約15件の楽器屋があった。エレキからアコギから専門書から・・・楽しい世界が待っていた。つまり、駿台予備校なんて最初の1週間で行かなくなり、楽器屋三昧だったのだ。
そんな時期に、アコースティックギターの専門店で超有名な「カワセ楽器」という店に通っていたことがある。アコースティックギター販売の老舗で、プロも御用達の店である。僕も石川鷹彦や加藤和彦を見かけたことがある。試奏している人もちょっと近寄りがたい雰囲気の人が多い。うーん、プロっぽい。そんな店なので、最初に入ったときは緊張したものだ。普通の楽器屋なのにオーラが出ている気がした。ガラス張りのショーケースにはヴィンテージもののマーチンD45やD28、ギブソンJ45が並んでいる。試奏なんてしようものなら、買わなければいけない雰囲気さえ漂っていた(これは今でも・・・)。
 カワセ楽器でよく耳にした音楽がある。クロスビー、スティルス&ナッシュである(CS&Nと表記)。マーチンの鈴なりのサウンドが耳につく。アコースティックギターのアンサンブルのお手本のようなバンドであり、コーラスも特徴があり絶妙であった。その音は、目の前に飾ってあるこのギターでないと出ない音なんだろう、なんて思いながら曲を聴いていた。

 僕が18歳のとき、世の中は80年ポップスの全盛期にさしかかっていた。でも、僕は1969年発表の
『クロスビー、スティルス&ナッシュ』でアコースティックサウンドに開眼していた。80年代の分厚い音と、打ち込みの応酬に辟易していたときに聞く空間のあるアコースティックサウンドは衝撃だった。僕はそれまで自分の中でアコースティックサウンドは、拓郎やボブディランの弾き語りでしかなかった。当時のアコースティックサウンドのとらわれ方は、「四畳半フォークと呼ばれるしみったれた音楽=フォーク」のような位置づけで、決して「流行の音」ではなかった。アンプラグドなんて言葉は存在すらしていない。
CS&Nはそんな僕に衝撃を与えた。
 変則チューニングもこの時初めて知った。そして、ガロはCS&Nのコピーバンドだったことも初めて知った。
 CS&Nの素晴らしさは今さら強調するまでもないが、面白いのは彼らの歌声は決してぴったりとマッチしておらず、各人が勝手に歌っているだけなのにもかかわらず、なぜか全体としてのまとまりを感じさせるという点にある。特に「Helplessly Hoping」では各人の声の定位が違うことによって、そのことをはっきりと聴き取ることができる。各人がお互いの個性を尊重しながら、かつグループとしての一体感を感じさせるというこの手法は、“束縛”も“孤独”もない理想の人間関係を作り上げようとする試みなのだろう。 

 僕は3人の中でスティーブン・スティルスが一番好きだ。バッファロースプリングフィールドの時代からリーダー的な役割を担い、アル・クーパーやマイク・ブルームフィールドと共に発表した『スーパーセッション』(1969)など、数多い名演奏を残したとても有名な人だ。

 彼の音楽性は、もって生まれた才能というよりは「学習」によって培われた部分が大きく、そうした秀才的な音楽が人の心に響く為には、同時代性のような他の要素がなければなかなか厳しいのではないだろうか。はっきり言って彼のヴォーカルというのもあまりうまいわけではなく、伸びのない荒々しい声は時として耳障りだったりすることもある。しかし、往年の傑作ではその声がとても心地よく響いてしまうのだから、音楽というのは不思議なものである。
 また、スティルスの特筆すべきところは、ウッドストックの時に45万人の前でアコギ1本だけで変則チューニングの「青い瞳のジュディ:組曲」を歌いきったところだ。CS&Nのステージであったが、あれはスティルスの一人舞台といっても良い。デビッド・クロスビー、グラハム・ナッシュがコーラスを決めているが、スティルスは鬼気迫る演奏とメインボーカルを披露している。ウッドストックの映画は何度も繰り返し観たものだが、CS&Nのシーンは瞬きもしないで観ていた。暗い画面だが、ボーッと浮き上がるような3人の映像。スティルスがシャウトするとき、八重歯がはっきり映り子供のような顔になる、そんな細かいところまで憶えてしまった。
 CS&Nは1969年に結成されてから、旧友ニール・ヤングも加わったCSN&Yも含め、数々のアルバムを不定期に発表している。時には、クロスビー&ナッシュになってみたり、スティルスとヤングが組んでみたりと、変幻自在の動きを見せている。しかし、アルバム的に見れば1969年、1975年、1982年・・・とアルバムを発表しているが、年を経るにつれアコースティック色が薄らぎ、コーラスアンサンブルが上手なグループという印象だけになった。ちょっと残念という印象。
 僕はアコースティックギターグループでCS&Nほどソウルフルなヴォーカルと絶妙なコーラスアンサンブルを聴いたことが無い。同じアコースティックギターバンドでも「PPM」や「アメリカ」の演奏する曲とは一線を画している。アコースティックギターで十分ロックができるバンドである。原点回帰を望むところだ。

 最近、カワセ楽器でマーチンD45を弾いたとき、くしくもBGMはあの時のCS&Nだった。僕が弾いていたギターの音色はBGMと同じ。他でギターを試奏していた人も自然とCS&Nを爪弾き始めた。
目が合ってしまい、お互い照れくさく笑った。



2004年12月25日
花形

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