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 音楽雑誌 Player誌 Billboard(売りますコーナー)

 音楽雑誌「Player」は昨年の6月をもって55年の歴史を一旦終わらせた。
休刊という形を取っているが、webメディアの現代で紙媒体が昔のように流行るとは思えない。雑誌という形態が無くなってもおかしくない世の中になったからだ。
雑誌でワクワクした、そんな昔を思い出すコラム。
2024年7月12日


 ミュージシャンであれば、音楽雑誌「Player」という月刊誌をご存知だろう。創刊1968年というから今年で50年を迎える歴史ある雑誌だ。創刊当初は楽器店用の専門誌だったようだが、1973年あたりから一般化され1979年からは現状の中綴じスタイルの雑誌になったそうだ。
私は中学時代からこの雑誌を不定期ながらも講読していた。目的はギターを弾き始め、楽器の情報が欲しかったことと、それまでの「MUSIC LIFE」誌の生ぬるい記事(外タレの明星とか平凡と言われていたからね)では飽き足らなくなり、硬派な(?)海外の音楽情報を知るニュースソースとして適していたからだ。写真一つ取ってみてもアイドル的な笑顔が多い「MUSIC LIFE」誌と比べると「Player」誌のそれはロバート・メイプルソープの撮るような刺激的なモノクロ写真であったり、日本ではマイナーなミュージシャンの掲載であったりと嗜好が異なっていた。
そして何よりも大人のミュージシャン向けと感じた「Player」誌の佇まいにしびれたのだ。

 私が中学3年の頃、学校の中でも購読している人間が増え始めた。ギターやベースを弾き始める時期と「Player」誌の一般化がシンクロしたのだ。そしてみんな食い入るようにジェフ・ベックやリッチー・ブラックモアの「フェンダー・ストラトキャスター」を見るのだ。ジミー・ペイジやジョー・ウォルシュの「ギブソン・レスポールモデル」を確認するのだ。それまでの「MUSIC LIFE」誌は笑顔のフレディー・マーキュリーやロバート・プラント、家族サービスをしているポール・マッカートニーといった人物にフォーカスされた写真が多かったので、ミュージシャンのライブ写真が多く掲載されていた「Player」誌は我々のハートを鷲づかみにした。
そして、我々の話で盛り上がるニュースはいつも中ほどにある「わら半紙色」のBillboardの「売ります、買います、メンバー募集」の記事であった。
 ギターを弾く者であれば、当時、フェンダー、ギブソン、マーチン、オベーション、BCリッチなど海外メーカーの楽器を手に入れるためにはこのコーナーが一つの解決策とされていた。
当時の海外ブランドへの憧れといったら今の子供たちにはわかるまい。
ギターヘッドのブランドロゴの威光は燦然と輝く。だから、当時の国産のメーカーはフェンダーやギブソンのロゴに似せたロゴデザインを作り、潔くなかった。また、弾く側もグレコやグヤトーンなどのブランドマークにフェンダーなどのシールを貼って自己満足に浸っていたのだ。
とにかく、当時の海外メーカーのギターやベースは「流通が少ない」「価格が高い」そして、「フェンダーやギブソンはプロが使うもの」といった妙な不文律が私の周りには存在していた。

 当時の中古楽器市場は、今の時代のようにネットで売買できるものはなく、中古楽器専門店もほとんど存在しなかった。中古楽器は、ヤマハ本店や石橋楽器、黒澤楽器のように規模の大きな楽器屋であればごくたまに並ぶこともあったが、期待できるような品揃えではなかった。
だから、「Player」誌のBillboardのページ(「売ります」コーナー)にある楽器は写真も掲載されていない中、我々の頭の中に物凄い想像力を掻き立てる三行広告だったのだ。

フェン・テレ・ローズ・ブロンド・1974年・バックル傷あるがその他きれい。15万。
手渡し希望 あなたのギブソン・レスポールと交換可
東京都世田谷区中町○丁目○番 田中太郎 03-325-01××

ギブソン・レスポール・カスタム 黒 1972年 ゴールドパーツくすみアリ。23万。
分割可(応相談)
山梨県甲府市大手町2丁目○○ 高橋方 山田一郎 055-232-00××(夜10時まで)

マーチンD-28(1965)、D-18(1962)、OOO-18(1970)他にも数台あり。連絡いただければカタログ送ります。
神奈川県川崎市川崎区川中島3丁目×× 井上二郎 044-266-04××

こういった個人情報丸出しの楽器販売記事が何百件も掲載されていた。我々は眼を皿のようにして電話帳のような細かい字を追いながら、ページに穴が開くまで見た。楽器個体を想像しながら金は持っていないくせに、フェンダーやギブソンが安く手に入ることだけで所有感を満たしていたのだ。

 高校の時、友達はこのコーナーを利用して実際にマーチンを購入したことがある。
渋谷の駅前で売主と待ち合わせをしてその場で現金とギターを交換した。中古とはいえ、高い買い物だったので、その場でケースを開け、傷などを確かめたそうだ。先方も封筒に入った18枚の1万円札を路上で確認するという何ともアウトサイダー的な絵面で、その話を聞いたとき喫茶店にでも入らなかったのかと聞くと、それよりも早くマーチンが見たくて会ったその場で交換してしまったようだ。
 1980年当時、新品のマーチンD28は約30万円だったので、1975年製のD28を18万で購入した友人は少しでも安く買えたことで満足していた。
 それほど、中古楽器市場は成熟していなかったのだ。

 私の自宅には古い音楽雑誌がヤマのようにある。その中でも音楽雑誌の広告で中古楽器屋がページを割くようになるのは1980年代の後半、バブルの頃あたりだ。それまでの音楽雑誌は楽器メーカーの広告をメインとして、新品楽器を取り扱う大規模楽器店の広告か、いかにもB級の通信販売の広告しかなかった。
それが、ある時期を境に中古楽器が写真付で掲載されるようになったのだ。それは驚くべき事件だった。中古品は現物しかないものであるから、その1台が売れてしまえば二度と同じものはない。雑誌に掲載するために撮影し、製本される前に売れてしまえばその固体はないはわけで、そんなリスクがあることは商売になるものなのかという疑問が当時の私の頭にあった。今でこそ、問い合わせがあれば「売れてしまったから、代わりに同程度のものも用意している」なんてことも言えるのだろうが、当時はそんなあやふやな商売で、しかも代わりとなる固体もそれほど流通していないから、トラブルが起きないのかなどと余計なことを考えたものだ。
だから、「Player」誌のBillboardの記事が重要だったわけだが、この記事も後に
衰退していくことになる。

 日本のフォーク・ニューミュージックブーム。洋楽のハードロックブームは1980年あたりを境に下降の一途を辿る。フェンダーやギブソンまでもが経営の見直しを図らなければならないほど景気が落ち込んだ。特にアコースティックギターの販売低下は顕著で、マーチンやギルドは、ギター生産労働者の首切りをしたほどだ。だから、1970年代までは猫も杓子もギターを弾いていたが、みんなギターをカラオケのマイクに持ち替えた時に、必要なくなった楽器が中古市場を作ったという仮説も立てられる。中古楽器が増えればそれを買い取る店舗も増え、中古楽器の流通相場も確立してくる。
そうなると「Player」誌のBillboardは個人情報のリスクもある中、うまみが無くなって来る。
また、ネットの発達も手伝ったことで、紙面で中古楽器を扱うよりも正確で多くの情報が掲載できる販売方法へと自然と流れていった。あのわら半紙色のあのコーナーもどんどんスペースが小さくなっていった。

 古い雑誌を見直すとあのBillboardに目が行く。
「この人はこのギブソン・レスポールを何で売るのか・・・秋田県・・・地元の楽器屋で購入したのか・・・」「何でこの人はこんなに古い名機を何本も持っているのだろう・・・業者かな?」など何の発展もしない時間を過ごしてしまう。
今の「Player」誌がどうなっているかわからないが、当時はそういう楽しみ方ができ、夢を見ることができた雑誌だったのだ。
 中古楽器屋ではわからないその楽器の源泉・・・使用者の想いなど。

 日本人の憧れであった海外ブランド楽器を一般的に広めた「Player」誌のBillboardは陰ながら日本の音楽を作り上げた一つの功労者ではないだろうか。

2018/7/18
花形
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カーコンビニ倶楽部株式会社
花形 裕
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