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『グッドタイム・ミュージック』 斉藤哲夫

 『バイバイグッドバイ・サラバイ』(1973)は、CBSソニーに移籍した斉藤哲夫が新たなる世界を発表した作品だと思う。それまでのURCレコードでは、小難しい唄を声をひっくり返しながら(高音)歌っており、「若き哲学者」と呼ばれた。
 URCというマイナーレーベルで「悩み多きものよ」「されど私の人生」「斧もて石を打つが如く」など20歳そこそこの大学生が歌っていたから、「若き哲学者」なんて愛称がついてしまったのだろう。当の斉藤哲夫はどう思っていたんだろうか。
 東京の下町、大森の大衆食堂の独り息子で、明治学院大学に在籍。“田舎から一旗あげるぞ”という気概も無く、けっこうのんびりと音楽活動を行っていたらしい。哲学者なんてイメージが先行してしまったから、気難しい印象が広まったが、本当はポップな音楽を作るミュージシャンなのだ。本人がそう言ってた。
 僕が吉祥寺の「ぐわらん堂」という小さなライブハウスで斉藤哲夫を観た後、彼に話しかけたら屈託の無い笑顔で応えてくれた。
“フォークやロックなんて関係なく、自分の好きな音楽がやりたい。フォークファンってえのは、やたらと決めたがるんだよ。押し付けだよね。「ピカピカ」で売れたけど、あれも俺の一面だからね・・・”
 そう、斉藤哲夫の名前が一般に浸透したのは、ミノルタのCMソング「今のキミはピカピカに光って」のヒットだ。曲のヒットとともに宮崎美子の鮮烈なデビューが印象的だった。僕はCMを見たとき、直ぐに斉藤哲夫が歌っているってわかったけど、何で斉藤哲夫なんだろうって正直思った。しかも作詞/糸井重里、作曲/鈴木慶一で、本人の曲じゃない!でも斉藤哲夫の中で一番売れた曲になった。複雑!
 『バイバイグッドバイ・サラバイ』に続き『グッドタイム・ミュージック』(1974)を発表する。

 僕はこの2枚が大好きだ。斉藤哲夫のポップな世界がどの曲からもあふれ出ている。また、この2枚を良く聞いてみると、当時出たアルバムの中で抜群の音の良さに気づくのだ。ヴォーカルが前面に出ているというか、浮かび上がっているというか。・・・種あかしをすると、ヴォーカルを2度重ねて入れているのだ。同じように2回歌っているから、ちょっとしたズレが倍音になり、ナチュラルコーラスを生むことになる。よくやる手だが、実際ヴォーカルは際立つ。アナログ録音の裏技的なもの。フォークの歌手でやっている人はそんなにいなかったんじゃないだろうか。
 そして、『グッドタイム・ミュージック』はビートルズの『SGT.PEPPERS~』(1967)や『ABBEY ROAD』(1969)を意識しており、トータルアルバムの様な出来になっている。ポール・マッカートニー的なアプローチを行なっており、『ABBEY ROAD』のB面の如く、作品のメドレーが畳み掛ける。斉藤哲夫の作品のパワーとそれを支えるバックミュージシャンのパワーがぶつかり合って非常に高いレベルの作品になっているのだ。このアルバムからフォークシンガーというイメージなどどこにも見当たらない。そして斉藤哲夫はこの作品をライブでもしっかりやり遂げた。高度な演奏力もさることながら、構成力のすごさを感じ取ることが出来るライブだった。白井良明や鈴木慶一といった「はちみつぱい」組と後藤次利、チト河内、石間秀機などの「トランザム」組がバックを固めていた。なんと豪華なことか・・・。

 「ピカピカ」は納得いかなかったけど、同時期に出たアルバム『いつもミュージック』(1979)は、等身大の斉藤哲夫を聞くことが出来る。『グッドタイム・ミュージック』ほどの完成度はないが、非常に良くまとまっていると思う。ヒットシングルの「今のキミはピカピカに光って」を収録しなかったのは、斉藤哲夫の小さな抵抗だったのかもしれない。
 
 斉藤哲夫は、いまでも小さなライブハウスで歌っている。一時期はサラリーマンになったり、トラックドライバーをやったりしていたが、今は自主制作CDを出しながら歌い続けている。若き哲学者は、今年で55歳になった。

2005年9月7日
花形

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