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『21』 ADELE

 このコラムを書いている時点で大ヒットから2年経過していた。
別に最新ヒットチャートを追い求めてはいないが、新たな音楽のインプットは新鮮なモノで、生涯失くしてはならないモノだ。
2023年12月


 音楽を趣味としていても、私はなかなかに最近のヒットチャートに疎い。邦楽洋楽問わず、あまり興味が湧かないのだ。ラジオでたまたま流れていた音に耳を傾け、反応することはあるにせよ、昔ほどリサーチしようなどとは思わなくなった。それは歳のせいかもしれないが、自分の心地よい音だけを聞いていたいという本能的な反応なのかもしれない。
 但し、片方の自分で「それじゃいけない」と警笛を鳴らす。そう、自分は音楽を作るという趣味があるのだから、様々な音を取り入れ、肥やしにしなければならないのだ。多少苦手な音にも耳を傾け、自分の音楽の幅を広めなければ自分の中の音はマンネリで陳腐化していく。創作するとはアイデアが湯水のように湧いて出てくるだけでは成立しないもので、特に現代音楽は周りの音との調和も考えなければならない。

 今回取り上げるアルバムだが、アデルの『21』(2011)を紹介したい。何を今さらアデルなの、と思う方もいらっしゃると思うが、私はアデルというシンガーを今まで知らなかった。この『21』もたまたま社有車の中にセットされていたから聞いただけで、自分の意思で聞いたものではなかたのだ。そう、それは私が車を走らせ、ラジオも面白くないからザッピングのようにCDボタンを押した瞬間、スピーカーから流れ出た生々しい音に眩暈を覚えたところから始まった。何の先入観も予備知識も無く、流れてきた音楽。妙に老練な歌い回しが気にかかり、後から調べるとそれが21歳時の歌声と知った時、2度目の眩暈が私を襲った。

 ジャンル的にはポップスになるのだろうが、今風の言い方だとR&Bという括られ方もするのだろうか・・・ま、そんなことはどうでもいいか。
 妙に生々しい楽器の音。ミックスがガレージロックっぽい。しかし、歌はハスキーがかった情念の表現力もある。
 情念・・・つまりこの『21』は、「離別」の内容がコンセプトにあるアルバムで、アデルの感情がもろに反映されている。自らを切り売りしながら創作活動をするシンガーということはアルバムタイトルの『21』からも容易に判断される。
ファーストは『19』セカンドは『21』。ともにレコーディングされた時の年齢という。つまり、その時点での自分を表現するに一番シンプルなタイトルである。

 私は昔から売れ線という言葉が好きである。ヒットパレードを追っていた時期もあるし、どんなに嫌いなアーティストでも売れるからには何かしら要因があり、そこには人を魅了する何かがあるのだと思うのだ。だから、一時期は好きでもないアーティストのCDをしこたま購入し、譜面に落とし、聞き込んだこともあった。しかし、感性的に許せない音楽はいくら売れていても理解不能に陥るだけで苦痛な時間を過ごすだけということがわかり、その行為はもう何年もしていない。そんなわけで、そういう耳を持っている自負もあるから社有車の中で聞いたアデルは自分の中で久々のヒット要因をもつアーティストと合致したのだ。

 CDを2回繰り返し車の中で聞き、信号待ちでプロデューサーをチェック。リック・ルーヴィンの名前を見つけ妙に納得。エアロとRun-D.M.Cのコラボヒットである「ウォーク・ディス・ウェイ」を手掛けたことで有名となり、レッチリやメタリカなどのビッグネームを扱うプロデューサーで名を馳せている。

 ヒットする要因が分かれば何の苦労もない。誰もがそのメソッドを実行すればいいだけだ。しかし、ヒットは時として気まぐれであり、一筋縄でいくようなものでもない。プロモーションを無尽蔵にかけても結果につながることは保証されないし、ヒット曲の作家やプロデューサーを用意しても同様だ。
そこに人を惹きつける魔法が無いとヒットは生まれないものだ。
 『21』を社有車の中で聞いた時の胸のざわめきは、きっと惹きつける魔法の一つだったに違いない。だって、私はあの時、本当にアデルのことなど何も知らなかったのだから。
調べてわかったことは2012年第54回グラミー賞で主要6部門を受賞し、全世界で約3,000万枚近いセールスを記録したということである。

好きか嫌いかというより今のヒット曲のスタンダードとして記録される作品である。

2013年7月12日
花形

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