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歪ませない

ゆーっくりと、今の2倍くらいの時間をかけてもう一度、ゆーっくりと。

轆轤を回しながら、教室のお姉さんが言ってくれている。
歪んでしまったら、やり直さない限りもう挽回はできないらしい。
人間みたいだな、ってぼんやりと思った。

私は、2番目に大きい大きさの粘土を選び、丸みと深みのある、それでいて末広がり的な形のお皿を想定した。
真ん中だけにちょこんと1品を入れても様になるような、メイン料理やご飯ものも入れられるような形がいい。それに加えてなんとなく、大きく緩く歪んでいるのがいいな、とイメージを固め轆轤の前に座る。

基本の形を作った後は、思っていた以上に手を加えられる範囲は限られていて、外から手で押して凹ませる方法でしか、形は変えられないらしい。

どうしても納得ができず、もう一度轆轤を回して歪ませた部分をまた馴染ませてもらうことにする。でこぼこが平坦になっていく、その過程でピンとくるものがあった。

この感じの緩い歪み、私好きです。
ここで止めますか?はい。お願いします。
1度崩してから戻していく、こういう手法もあるのですよ。
その過程でできるものが好きかもしれない、すごくいいです。
いいセンスしてますね。
そう言って笑ってくれる。

創ることが好きだな、とやはり思った。
創る事は、料理も、お部屋作りも、絵も、言葉も、全部似ていて繋がっている。
写真だけは、違うような気がする。私には、切り取る作業に過ぎなくて、だから私は、写真についてだけは現状のまま満足をしているのだろうか、などと思ったりもする。


創る事は、0から織り成すことではなくて、無理やり捻り出すものでもなく、脳の書き出しだと思った。日々、働き、食事をし、疲れて眠る。その中から感情が生まれて、それを発散させること。だから、生活の中にたまにはその時間を作らなければ、苦労が無駄になってしまう。ただ無意味に苦労しただけになってしまう。

ずっと旅行は苦手だった。
楽しまないと、と思いすぎてしまうから。
でも、旅なら好きだな、と思った。

人生は旅だな、と思う。
旅をしたいなと思える人はきっと、ずっと一緒に生きていきたい人かもしれない。
ならなおさら、焦ってはいけない。轆轤みたいに、時間をかけないといけない。


お皿が届くのがまた、とても楽しみ。
殴り書きの記入と、消しては書いての書き出しを繰り返していく。
何かに続く日々というのは、こんなにも楽しい。

#旅 #京都 #陶芸

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