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【ドラマ感想】下剋上球児第10話!野球を通じて学んだこと

つい最終回を迎えた『下剋上球児』。放送が始まることを知ったのは、たしか8月。そこから最終回までの約4ヶ月はあっという間だった。

大好きな製作陣が描く、高校野球を題材にした物語はどんな作品なんだろう?と期待を胸にテレビの前で待っていた。あのときの想像を超えるほど、素晴らしい作品で、こんなにも愛をもってしまったドラマは久しぶりではないだろうか?

放送前には、球児キャストたちのインスタライブを見てから、ドラマを鑑賞する。そんなルーティーンももうないのかと思うと、寂しさしか出てこない。来週の日曜9時もテレビの前で待機してしまいそうだ。

3話あたりから書き続けた感想記事もこれで終わり。これを書き終えたら本当に終わってしまうと思うと、キーボードを打つ手もなかなか進まない。けどこれを書き終えて、気持ちを新たにしたいと思う。


甲子園はただの通過点でしかない

2話で野球部入部前の久我原はこう言っていた。

「社会に出たら、部活なんて何の役にも立ちません!」

正直私も同意見だった。しかし、まったくそうではなかった。

『下剋上球児』は甲子園をめざす球児たちの物語であったと同時に、それぞれがマイナススタートの人生をやり直す物語でもあった。

「ザン高の”ザン”は残念の”ザン”」と言われる高校に入学し、自信がもてない野球部員たち、勤めていた学校を辞めざるを得なくなった山住先生、そして教員免許を偽装した南雲監督。1話からみんながマイナススタートで始まったのだ。

そんな生徒や先生、大人たちが、野球を通じて下剋上を果たしていく。諦めそうなるときもあった。しかし大人が子どもを支えるように、子どもたちが大人を支え、前を向いて歩いていった。

「甲子園」という大きすぎるかもしれない、無理難題といわれるかもしれない目標へ、ともに支え合い助け合いながら進んでいく。そんな彼らの姿に、視聴者もたくさんの勇気や感動をもらった。

では「部活」の意味とはなんだろう?最終話で南雲監督はこう言った。

「野球を通してうまくなっていることも、たくさんあるんだよ」
「できないことをできるようになるまで頑張ったり、チームの中で何ができるかな〜って考えたりな」
「そういうのは野球以外でも役に立つんだよ」

夢を追い続ける過程で自分を見つめ、自分の役割を見つけ、どんな大人になりたいか、それを探す場所なのだろう。

「甲子園」はその人生の過程でしかないのだ。野球をやっている子が全員プロ野球選手になれるわけではない。でも野球を通じて学んだことは、どんな職業に就こうとも、どんな人になろうとも、必ず活かされる。それを証明するかのように、2016年入学組の将来はみなバラバラだった。

それぞれの道を選んでも、大人になった彼らの表情はとても輝いていて、まぶしかった。野球だけではない、彼らの人生の下剋上を果たした経験が、今の彼らを作ったのだ。そしてそれは球児だけでなく、監督や先生も同じであろう。


人生は何度だってやり直せる

甲子園出場を果たしたザン高野球部。学校のスピーチで南雲監督が生徒に伝えた言葉には胸を打たれた。

「負けてもそこで終わりじゃない」
「必ず次がある」
「次を目指している限り、人は終わらない」

ザン高野球部はたくさんの”負け”を経験してきた。試合だけでなく、人として自分の不甲斐なさが許せなかった。悔しくて、審判のせいにしたいときもあった。野球をやめたくなったときもあった。でも”負け”や”弱い自分”と向き合い、みんなで助け合いながら、一歩一歩歩いてきた。

大人も子どもも年齢に関係なく、何度だってやり直せる。”負け”から始まることもある。情熱をもって物事に取り組めば、いくつからだって下剋上を起こせる。這い上がれる。小さな一歩を踏み出せる。

諦めない限り、次を目指している限り、道は続いていく。何度だって人生はやり直せる。野球を通して、そう教えてくれたドラマだった。

学生時代にこんな経験ができたらどれほどよかっただろう。そう思ってしまうが、大きな夢を果たせなくても、諦めず歩き続けた経験は大人になったときやこの先の人生で絶対に役に立つ。これまで積み上げてきたものは、一つも無駄ではない。無駄なことなんて何もない。

そう胸に誓い、これからも人生を歩いていこう。その先で、このドラマで出会えた俳優さんたちが大きく成長した姿を見ていたい。またみんなが共演するドラマを見たい。大河や朝ドラに出る彼らを見たい。塚原監督×新井P作品に戻ってくる彼らを見たい。

こんな小さな夢が叶えらるよう、私も次を目指して生きていこう。たくさんの感動をありがとう!そして、このドラマを届けてくれたすべてのキャスト・スタッフのみなさまに感謝を込めて・・・


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