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先生の定義

 個人面談ではご多用の中、お越しいただきありがとうございました。短い時間でしたが、学校でのお子様の様子を少しでもお伝えできていれば幸いです。「子どもが学校にとても楽しく通っています」「学校の事をたくさん話してくれるようになりました」「私が止めないとずっとテスト勉強しています」「LittleWingファイリングしています」など、私にとっても担任冥利に尽きる温かい言葉をたくさんいただきました。本当にありがとうございました。でも、教師が子どもに与えているのはきっかけに過ぎないと思っています。子どもの好ましい変化や成長は私の考えを汲んで、ご家庭で見守ったり、言葉かけをしていたりするご家庭の力です。今後もご家庭と連携し、学級経営をしていきたいと思いました。
 今日は先生の定義について、お話したいと思います。当たり前ですが、私は仕事上「先生」と言われることが多いです。でも、私はこの呼称が好きではありません。「偉そう」「一般的な先生像のような立派な人間ではない」というのが理由です。実際、違う呼称を模索したこともありました。新庄監督の就任1年目、自分自身を「ビッグボス」と呼称し「これだ!」と思い「毎週木曜日はビッグボスの日」と取り組んだこともありました。当たり前に定着していた呼称の変更は子供には難しく、私も「ビッグボス」と呼ばれても反応できないことが多く残念ながら定着できませんでした。自分の中で「先生=先に生まれた人」として、その呼称を受け入れていました。
 先日オンラインサロンの発表会がありました。ある発表者の方の話を聞き長年好きではなかった「先生」という呼称に初めて良さを感じました。その方は「先生とは先を生きる人である」とおっしゃったのです。私自身が社会の変化やニーズにアンテナを張り、柔軟に取り入れていかなければなりません。経験に捉われすぎてはいけません。変化の激しい時代を大人として生きる子どもたちに、先を生きる姿を見せて行くことが必要です。
 私は、これから「先を生きる」という意味での先生を明確に目指していきます。それが、私の最大の目標である「学校を楽しい場所にする」を達成するための必要最低条件だと今、考えています。

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