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長嶋茂雄さんは、私の中ではスーパースター

【背番号「3番」4番サード長嶋】

私の中では、絶大なるスーパースター選手です

千葉県佐倉一高〜立教大学〜巨人(選手)〜巨人監督〜巨人の終身名誉監督
2088年には野球殿堂入り、文化勲章、国民栄誉賞等々

派手なアクションや、ここで打って欲しい時に打つ!、等で絶大なる人気を誇り、ミスタープロ野球と呼ばれる選手であった

1959年の昭和天皇が観戦した【展覧試合】阪神戦では
サヨナラホームランを打ったのである
(ちなみに、王選手もホームランを打ったが・・・あまり報道されていませんが)

また、その当時は、赤バットの「打撃の神様」川上哲治監督が
1965年から9連覇中であった

長嶋選手のデビューとなった試合では、苦い経験として
巨人入団後の初試合で、金田正一選手(国鉄スワローズ)から四打席連続の三振を喫して、
「どんな記録を作ったことよりも、四三振した球が一番の思い出」と語った
(その日は、一睡も出来なかったそうです)

その後の引退試合セレモニーでの「わが巨人軍は永久に不滅です」と言葉を残してグランドを後にした

また、福岡市中央区天神の福ビルの1階には「長嶋茂雄引退セレモニー」と題して特設コーナーが設けられた
(現在、福ビルは福岡市の天神ビッグバンにより建て替え中)

その当時、私は福ビルから3軒隣の三和ビル(現在は建て替えにより新しいビルが完成して、ジャパネットたかたのコールセンター等が入居)に、
仕事で(地域振興整備公団に)度々通っていた関係で、福ビル地下の駐車場を利用していたが、当然のように福ビルに立ち寄り、長嶋茂雄さん関連の記念品を多数
購入した

ところで、長嶋さんの活躍時代に戻りますが

私は、永きに渡り、朝の目覚めと共に、真っ先に、新聞の長嶋茂雄さんの前夜の
打席成績を覗き込んで仕しまう始末(当然、読売新聞でしたが)

もっと、【長嶋命】の過剰といえば・・・、
中学生時代に、我が家でのテレビ放送中の長嶋茂雄さんの打撃姿をカメラで写して満足していた私には、少し呆れもしましたが・・・

試合中の、守備範囲を超えた活躍
(長嶋さんは、サードでしたが、ショートを守る広岡選手の前に来たゴロまで、取りに行く始末)

当時、守備位置では、
ファースト=王貞治選手
キッチャー=森昌彦選手
セカンド=土井正三選手
ショート=篠塚和典選手
センター=柴田勲選手
レフト=高田繁選手
ライト=国松選手等々

まだまだエピソードも数多く有ります

長男の長嶋一茂が小学生の頃、神宮球場に二人でヤクルト戦を見に行って
一茂を球場に忘れて帰り、帰宅後に、奥さんに言われ、球場に電話したところ
一茂さんは審判室に保護されていた

王さん曰く、ミスターの事を「僕には理解できない、だって彼は宇宙人ですから」

また、試合中の出来事で、靴下が片方しかなく、皆で、大騒動して探した結果
片方の足に、重なって履いていた等々、
あまりにも天真爛漫と言うか、ノー天気ですよね

それでも、野球選手としての、
4番サード長嶋茂雄さんは、偉大でした

長嶋茂雄さんの記録

【通算成績】=通算2186試合・8094打数・2471安打・444本塁打
       ・1522打点・打率.305

【タイトル】=首位打者6回・最多安打10回・本塁打王2回・打点王5回

【表彰】=新人王・最優秀選手5回・ベストナイン17回
     ・ゴールデングラブ賞2回・正力賞1回、等々

他にも、偉大な記録は有りますが、
監督になられた時は、辛い思いをされた事も確かです

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