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銀座の思い出・上京編

十八で上京して間もない頃のハナシである。

最初の会社は自分にとって良い会社であった。

クルマ関係の仕事でそれなりに経験と知識を

必要とされる仕事だった。

嫌いなわけではなかったが、都会で暮らすに

はお金がかかることを認識していなかった。

母親からもらった支度金10万は1カ月であっ

という間に使い果たして、初めての給料をも

らった時はガク然とした。

求人の案内では12、3万程度の手取りと期

待していた。

それが7万だった。

この年になるから言えるが、高校を卒業して

間もない若造に黙って給料をもらえるんだか

らありがたくと思う位がちょうどいいのである。

でも遊びたい年頃、もらった分だけ使い果た

してしまい、次の給料日までカップラーメン

なんて生活になる。

当時はアルバイト雑誌が駅の売店に置いてあ

ってスグに飛び着いた。

何でもいいから日払いでもいいからと、どん

な仕事かも考えずに会社帰りに寄れるそんな

発想で探した。

「銀座・有楽町 パブ・ウェイター募集・週

三日から可」「未経験者歓迎」なんて記事を

読んですぐに履歴書を持って面接に。

銀座で働くというのは当時の憧れであった。

しかも飲食店でのバイトをここからスタート

するのだから。

普通は先輩の紹介があれば、いろいろと情報

を聞けるのだが、そんな人もいないし、とに

かく当たって砕けろなんて考えで面接に。

その日は会社が終わって夕方6時過ぎだった

ので、履歴書を見てもらう程度のつもりだっ

たが、なぜか面接してもらい、即採用となる。

するとその日からスタンバイしてくれとなり、

こうして銀座デビューを飾った。

訳も分からないまま、バイト先の先輩の指示

を聞きながらフロアーを動き回っていた。

この仕事で嬉しかったのが、賄いがある事だ。

食費が乏しかった当時は随分と助けられた。

街全体が眩しかった。

田舎にいた頃にテレビで見ていた世界が目の

前にあるからだ。

あれから30数年が経つ。

銀座も再開発され当時の面影も薄れつつある

が、まだ昭和の名残があったと記憶する。

店の近くに東映の本社があり、都庁が新宿に

移転する前だから上京して最初の思い出が

銀座なのである。

とにかくありがとうございます。