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気づいたら4年もニートしてた


先日、次男坊の保育園入園内定通知が届きました。これで私は4月から社会復帰できます。
私は長男妊娠中にちょうどコロナ禍になり、その時期に仕事を辞めました。長男は出産後に同じ職場に復帰しようと思ったのですが、いろいろ気持ちが変わって復帰することなく今に至ります。
そこでこの4年間何をしていたのか、振りかえって記録します。

妊娠とコロナ禍と退職

今からちょうど4年前、コロナが日本で流行しはじめました。初めの頃はコロナに罹るとどうなるのか、どのくらい感染力があるのか、毎日毎日、ニュースやワイドショーで言っていました。でも実際のところよくわからないからないし、とにかく恐ろしいもので、みんながコロナを恐れていました。
当時、妊娠5ヶ月ぐらいだった私は、4月まで働き、退職する予定でした。しかし、接客が中心の事務仕事だったので、コロナに罹るリスクが高いということで、2月の途中から急遽在宅勤務になりました。
そして、4月以降完全に仕事がなくなった私は、とにかく寝ました。
どこかで、妊娠中が自分で好きな時に寝れるラストチャンスだという話を聞いたので、朝も昼も夜も思いっきり寝ました。
この時期、夫も在宅勤務になったり、ステイホームで家にいる時間が増えたので、ちょっと凝った料理を作ってみたり、パンを焼いてみたりしました。
作り方はもっぱらYouTubeで調べて作っていました。
地上波TVよりも、YouTubeを主に見るようになったのもこの時期でした。YouTubeをさんざん見漁ったおかげで、好きなことをして生きている人がいるんだなあと気づけたのでした。

育児と保育園とコロナ禍

長男坊が生まれてから3か月後くらいに、元職場から連絡がありました。もし、時間があれば、在宅で事務仕事をしてほしいという依頼でした。生活リズムも整い始めて、お昼寝の時間にできそうだなと思ったので、この仕事を受けました。
このお仕事は大体1年くらい続けていました。なので丸4年ニートだったわけではないのですが、このお仕事に係った時間とお給料がほんの少しだったのでほぼニートだったと思います。
実は、長男が生まれから、次の4月には保育園に預けて、元の職場に再就職するつもりでした。しかし、なかなか終わりの見えないコロナ禍で、保育園でコロナ罹る心配と、保育園を見学したけれど、どこの保育園もなんだかしっくりこなかった違和感と、長男は男の子で将来は確実に親から離れて行ってしまうだろうから、小さいときは一緒にいたいという私の願望で、再就職はせずにニート続行することにしました。

家づくりと新しい世界

在宅で事務仕事をしていた頃、私は音声メディアと出会いました。あの、一世風靡したクラムチャウダーじゃなくて、、クラブハウスが流行る半年くらい前のことでした。よく見ていたYouTuberがvoisy(ボイシー)始めたのをきっかけに、voisyにハマりました。
よく聞いていたのはワーママかおさんと尾石晴さんとはあちゅうさんです。
この方たちの放送を聞いていると、自分も何か初めて見ようという気になり、ブログとインスタを始めてみました。
しばらくしてからコテンラジオとノウカノタネを聞き始めました。(後の伏線)
ニート2年目の春、友人とのオンライン飲み会をきっかけに、ホームページを作ってみたいと考えました。
調べてみると、ホームページを作ることを副業でやっている人がいることを知りました。しかも主婦の方もいて、勉強すればだれでもできるようになるんだとか(胡散臭いですね~)
調度、パソコンを買い替えたところだったので、私はWEB制作で稼ぐべく、学習を始めるのでした。
(WEB制作の話だけで一本記事書けそうなので割愛)

そして、秋、私たちは家をつくることに決めました。
(家づくりの話は長いので割愛)

2人目の妊娠と引っ越し

冬になりました。
1年程続けていた、在宅のお仕事を私はスッパリ辞めました。理由は、長男坊のお昼寝時間が減ったことと、自分の学習時間を増やしたかったからです。
ちょうど辞めた頃に、次男坊の妊娠が判明し、悪阻でヘロヘロシーズンが始まったので、良いタイミングでした。
ニート3年目の春、我が家は賃貸を引き払って、私の実家に引っ越しました。これは家づくりの諸々の影響で、1年くらい実家にお世話になる予定でしたが、予定を大幅に変更し、もうすぐ3年目に突入しそうです。
夏に次男坊が生まれました。出産後は勉強できる時間も意欲もなかったので、Podcastとvoicyを聞きまくりました。
Podcastを聞き始めたきっかけはノウカノタネという番組だったので、農系と呼ばれるPodcast番組を聞いていました。
お陰で頭の中は農一色。めちゃくちゃ農家やりて~って感じでした。
(将来的に夫が義実家の仕事を継ぐので農家にはなる予定)
どうやって、農業やって稼いでいくか、暮らしていくかをものすごーく考えた結果、なんでも作る百姓的な生活を目指せば、少ない収入でも生きていけるのではないかという考えに至りました。(家のローンのことも考えて、、、)

保育園と新しい仕事

ニート3年目の春、長男坊が3歳で認定こども園に入園することが決まりました。3歳までまるっと過ごした感想は、濃かった。長かった。正直、2歳を過ぎたころから、1日何して過ごそうか、どうやったら体力を消耗してすんなり寝てくれるだろうかということを考えて頭を抱える日々でしたが、楽しいことも、可愛い瞬間も、成長も傍で見れて本当に尊い時間でした。今思えば。
そして、私も新しい仕事を見つけました。なんとも懐の広い雇い主さんで、なんと、次男が保育園に入園するまで、待っていてくださっています。
今までにない業種で、私のポリシーに合うところもあって、それに子供がいて働くことにかなり理解があって、本当にありがたいです。

どうして、次男とは3歳まで一緒にいないで保育園へ預けるのかというと、経済的な理由です。そろそろ夫に働いてほしいと言われました。あと、私も新しい仕事を始めたいという気持ちもありました。
あと、第二子は保育料が半額になるので、それも大きかったです。保育料って高くて、何のために働くのかわからなくなるんですよね。。(長男は無償化対象なので保育料はかかっていません。)

そんなこんなの4年間でした。
4年間もニートを許してくれた家族のみんな、ありがとう!




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