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先日もnoteにて報告させていただきましたが、無事に精神保健福祉士試験に合格することができました。改めて激励・お祝いの言葉をいただきありがとうございました。2回目の受験で合格することができましたが、受験するには福祉系の大学か専門学校で必要な単位を取得することが必要になります。フルタイムで働きながらの大学生はやはり大変です。スクーリングにも行かないといけないし、その期間は家を空けることになる。何度も言いますが、45歳過ぎてからの福祉業界への転職もあり、今振り返ると「よくやった」と思えます。

なぜそこまでして私は学ぶことを続けてきたのか。
今日はその理由を書き留めたいと思います。

自分が生きていくために必要だった

これが一番大きな理由だと思います。息子との死別を経験している私は、まさに生きていく希望も気力も失いました。その後、同じような経験をした遺族会に参加したり、ママに会いに名古屋や八尾まで出向いたこともありました。

もちろん、死別に関する本もたくさん読みあさりました。ある時、自宅に同じ社宅に住むママが弔問に訪れてくださった際、一枚のパンフレットを渡されました。
それは犯罪被害者支援に関するものでした。その方はひと月ほど前にご自身のお父様を殺人で亡くされたと話されました。息子が事故死だったこともあり、そういった機関があるよ、と伝えてくださりました。

機関を使用することはありませんでしたが、世の中にはこういった無情な死や被害を受けられる方がいること、まさか自分の身近にそういう方がいることは、私の中で大きなきっかけになりました。

一方で、お会いしたママに中に、ご自身の目の前でまだ赤ちゃんだった息子さんを交通事故で亡くされた方がいました。そのママはPTSDを発症され、小西先生のカウンセリングを受けているとお聞きしました。

小西先生とは当時武蔵野大学で犯罪被害者支援をされており、PTSDやトラウマケアの第一人者です。
その武蔵野大学が当時日本で初めて通信制大学で心理学が学べるカリキュラムが始まることを知ります。そこでは小西先生の犯罪被害者学やトラウマケアを選択できることもあり、当時乳飲みの後の娘を抱えながら入学することを決意しました。

なぜ大学で心理学を学ぼうと思ったのか。

それはこれからの余生、息子との関わりを続けることでしか自分は生きていけない、と思ったからです。自分が生きていくために学ぶことを始めたのです。

学んできたこと

学びを進めていくなかで、「なぜ私は今これを学んでいるのか」を幾度も考えました。自分がこれから生きていく中で、自分と同じような経験をした方々と繋がりたい、という想いが強かったと思います。

なぜか?

それは唯一、「息子を亡くした」ことを公にできる場だからです。当時を知る人は私たち家族が子どもを亡くしたことは知っています。時間が経つにつれ新しいコミュニティが形成されていくと、そういったことを知らない人との関係性が築かれていきます。ご近所さんもそうだし、娘のママ友、仕事でも改めて話すことはありませんでした。

そのことは我が家は3人家族で、息子の存在を隠していることになります。それは私にとって耐え難いことです。例えば職場で「実は子どもを亡くしてるんだよね」というと、確かに共感はしてもらえますが、言葉は悪いですがはやり引かれることが多い。

私が今後、生きていくためには息子と関わることでしか生きていけない、ならばそれを徹底的に学び、いつになるかわからないけど、それを活動の糧にしていこうと決め、試行錯誤しながら学ぶ生活が始まりました。

これまで学んできたことを振り返ると
・武蔵野大学:心理学
・上智大学グリーフケア研究所:グリーフケア
・日本福祉大学:福祉(精神保健福祉士)
・犯罪被害者支援基礎、上級コース受講済み
・性被害者支援
・ものキャン:グリーフケア啓発のための電子書籍出版

主にこういったことを学んできました。他にも単発でちょこちょこ講義や講演なども受けていますが、上記のものは半年〜数年かけて学んでいきました。ちなみに武蔵野大学は8年かけて卒業しました(泣)
日本福祉大学も、実習免除を得るため一旦2年で卒業して再度入学、1年後卒業というドタバタで乗り越えました。

亡き息子とともに

改めて念願の精神保健福祉士に合格できたことで、自分が生きるための活動をやっていこうと思って現在準備を進めています。ホームページひとつもまだ作れていませんが、コツコツやってます。

これから始めまることは「私が私らしく」これからの人生を歩むための一歩です。
これまで私が学ぶこと、やりたいことに何一つ反対せず、経済的にも精神的にも支えてくれた夫には感謝しかありません。

夫は息子を亡くした後も、同じ会社に勤め続け家族を支えるためだけに頑張ってくれました。今年55歳になる夫は60歳で早期退職すると公言しているので、これからは私が家族を支える番だな、と考えています。

息子との死別に向き合うことを避けてきた夫は、グリーフはできていないと本人も話しています。娘もまだ同居ですが成人しているので、少しづつ自分のために時間を使ってほしいな、と思ってます。

死別した時、娘はまだ10ヶ月に満たない乳飲み子でした。親の愛情を必要とする時、私たち夫婦は愛情は注ぎましたが、悲嘆にくれながらの育児だったことは否めません。娘にも遺族という悲しみを背負わせてしまい、申し訳ない気持ちもあります。今こうして成人してくれたことは、生きているだけでも喜ばしいことです。
ひとつ注文つけるならば、正社員で働き一人暮らしして自立してほしいとこではありますが・・・高望みですね。

今までも息子はずっと私の中にいますが、これからは息子と過ごす時間が増え、もっとそばにいるような感じがします。今だに息子を想い涙を流すこともあります。

来月4月1日は息子・将貴(まさたか)の二十三回忌、5月5日は25歳の誕生日です。天使日である4月1日にはなんかしらの形で事業を始め、誕生日である5月5日に開業届を出す予定です。

これからも息子ともども末長くよろしくお願いいたします。



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