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本日、4月1日は最愛の息子・将貴の天使日です。「命日」という言葉を使うのは何か違和感があるというか、使いたくないので、ここでは「天使日」と使わせていただきます。

今日は13:00から住職さんを招いて法要を行いました。といっても家族だけでこじんまりと行いました。旦那と手分けして私は和室の掃除、旦那がお墓の掃除と朝からフル稼働でした。

2001年にお空に渡って今年で22年。最初の頃は毎月1日の月命日にはお参りに来てもらっていましたが、今では天使日である4月1日とお盆ぐらいになりました。

毎年、この日だけでなく1週間ほど前から精神的に不安定になり、実際に法要時には泣いて泣いてお焼香もまともにできませんでした。

いつ頃からでしょうか、この日を迎えても泣くことはなくなりました。いや、泣くことをコントロールできるようなった、というほうが正しいのかもしれません。

私自身、確かにこの日はあの日の光景をありありと鮮明に思い出し、苦しくなります。悲しみは何年経っても消えることはありません。少なくても、自分でコントロールできるようになりました。

私にとっては天使日よりも息子の誕生日のほうが辛い。それは楽しい思い出しかないからです。妊娠中期で単身赴任をしていた旦那と一緒に住むために横浜へ引っ越ししたこと、誰も知らない土地で初めての出産をしたこと、子どもの日に生まれたこと、頭が大きく出血多量で輸血が必要かもと言われたこと、生まれてきた顔が旦那にそっくりだったこと・・・・

息子と過ごした時間より、いなくなった時間の方が長くなり、妹である娘が息子の年齢を超えた時など、思い起こせばよく過ごすことができたな、と思っています。

今日は法要の後、前からやろうと考えていた作業スペースを作るべくマットを買いに行き、タンスを動かし、机を移動させ・・・と1人でやり遂げました。
今日しないと、いつまで経ってもしないだろうな、ということと、やはり落ち着かなかったんだと思います。

苦しいことを思い出さないために、無心になることが必要だった。だから私は今日という日を泣くことなく過ごすことができたのだと思う。

あれから22年、時間がかかったかもしれませんが、私はようやく新しい道を歩むことを決めました。22年経ったからではなく、今年は息子が25歳になることに加え、私が50歳になる節目だと勝手に理由つけてる感も否めませんが・・・

今この時、あの時の私のように大切な誰かと死別し、喪失に打ち拉がれている人がいる。そんな人たちに少しでも生きる希望を見出してもらえるように、私にしかできない支援をしていきたいと改めて決意しました。

悲しいかな、2日後の4月3日はワンコ(兄)の14歳の誕生日です。この年齢になるとやはりあの時を考えてしまいます。いつか消えてしまう命、そことも向き合いながら過ごしていきたいと思います。




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