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青春が終わる、人生が始まる。

映画「何者」のコピーをタイトルにしましたが、自分は最近この言葉が頭から離れません。
23年前に始まっていたはずの人生、なぜか明日からその物語が始まっていく気がして、感情がぐちゃぐちゃになります。

どんなときも別れというのは唐突で、家族、友達、恋人など、自分が思ってもいないときにその瞬間はやってくるものです。
今年の3月、祖父がこの世を去りました。兼ねてより体調は悪かったのですが、明日こそはお見舞いに行こう、そう思っていた晩の突然の連絡に、もう2度と一緒に話すことができないことへの後悔の念に駆られました。
だから、それが人であろうと、経験であろうと、もしかしたらそれに触れ合うのは最後かもしれない、そう思いながら生きていれば、少しは後悔なくいられるのかもしれません。

2年前に大学を休学して、去年1年間は復学期間として4年生の代を過ごしましたが「まだもう1年遊べる」なんて気楽に考えていました。それは決して甘い考えとかではなく、学生として本当に最後の1年だから、楽しいことばかりしていたいと思いました。

ただ、学生期間がこんなにも唐突に終わるものだとは思っていませんでした。いやいや、卒業式って分かりやすく別れを知らせるものがあるんだから唐突も何もないだろう、と思われる方、正解です。でもその瞬間は本当にいきなりやってきた感が強いです。それは上京したから?地元の友達に別れを告げたから?家族と一緒に生活することが今後ないから?(おそらく)理由はさまざまあると思いますが、人生のあまりにも大きすぎる節目が去っていく気がします。

自分にとって、これまでの学生生活の全てが華やかなものでした。
もうあの頃には戻れない。ある曲の歌詞に「過去がどんな眩しくても未来はもっと眩しいかもしれない」という一文があります。本当は、そう信じられたらいいけど、あの頃が楽しく、笑えて、輝いて見えて、そんな日がずっと続くと思っていたから、そう易々とは現実を受け入れられません。これから先、何十年も生きていく(はず)けどやっていけるのかなと。

先月、山梨の古民家に旅行に行った際、一年後の自分へ手紙を書くという体験がありました。何を書こうか迷ったのですが、一年後働いているであろう自分の姿を想像した時、去年1年間働き抜いた同級生の姿が頭に浮かびました。これは誇張とか、綺麗事ではなく、本当に自分はそういった同級生を心の底から尊敬しています。東京にいる、地元にいるなどに関わらず、いろいろな同級生と遊んだりご飯にいきましたが、学生として悠々自適な生活を送っている自分の裏で、みんなさまざまな思いを抱えて毎日働いていたと思うと、かなり申し訳ない気持ちになります。
ありがたいことに、友達といる時が本当に心の支えになっているからマジで楽しい、とみんな言ってくれるので、そう聞くとみんなで笑えてよかったなとは思えていますがね。

実際、逆の立場になった時、まさに今の自分がそうなっているのですが、友達の顔を見ると本当に安心します。泣きそうになります。自然と笑顔になっています。心を許し合える人にこれまでの学生生活で出会えたことを、それらの経験を振り返り、スマホの写真フォルダを見返すたびに、自分は本当に幸せで、楽しいこれまでの学生生活を送れたのだと思います。

この前ふとXを見ていると「輝く未来を見失うなよ」という言葉が目に入りました。自分の振り返った過去は、確実に輝いていました。普段は他者と比較することでしか生きられない自分なのに、これだけは絶対的にそうだと言えるのだから相当なものなんでしょう。
これからの未来は輝いているのでしょうか。輝き度で言えば、社会人生活が学生生活を超すことなんてあるのでしょうか。それとも比較すること自体無意味なことなのでしょうか。

ただ、過去の自分が生きていたその瞬間、自分で「今の経験輝いているなー」なんて思ったことはほぼないと思います(例外を除いて)。振り返ってその歩みを見た時に初めて、その素晴らしさにいつも気付かされます。だから、社会人生活でも、その当時は思えていなくても、いつか30歳、40歳と歳を重ねた時に、あの時の自分かっこよかったよな、とか思えているのかもしれません。
もしかしたらこれから先、自分の過去を振り返ったときに、輝いていない瞬間なんてないのかもしれない。当時は辛くても、きつくても、死にたくなっていても、時間が経てば勝手に美化されているのかもしれない。そう思えば少しは気が楽です。

これからの社会人生活に、楽しさなんて今日時点では一ミリもないけど、なぜか数年後こんなことをしていたいな、と考えることはとても楽しいんですよね。ワクワクするんですよね。でも、そこに辿り着くには相当努力しなければいけない。正直辛いし逃げたいけど、そういった楽しみな未来が少しでも描けていることは、ちょっとした今の自分の安心材料です。

人生の本番って今からを指すのかな。だとしたらもっと光り輝いて、過去に戻りたいだなんて思わなくて済むのかな。前みたいに次の日のことを何も考えずに夜遅くまでスマホをいじれたりする時間はもうやってこないのかな。寝坊しても特に問題なくいられる朝はやってこないのかな。深夜に友達からラーメン食べに行くことに誘われて、嬉しくなっちゃう瞬間なんてないのかな。

写真フォルダに写る過去が輝いていて、これから追加されていく写真には、どんな未来が描かれているんだろう。
社会人になんてなるもんじゃないのかな。
それとも、学生生活を追い越す笑顔の日々がそこにはあるのかな。
それを味わうには相当努力しないといけないはずだけど。

古民家で書いた手紙には「1年間必死に働き抜いた同級生を心の底から尊敬したのと同じように、今の働きっぷりがどういうものであれ、自分のこともたくさん褒めてあげてください。」と綴りました。

自分の身近にそういった存在がたくさんいたこと、大きな誇りです。

23年間の青春をありがとう。
本当に人生が始まるな。
一年後、この文章を見て大笑いしている自分がそこにいますように。

2024.03.31
明日に怯える自分より

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