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キタダヒロヒコ詩歌集 73 あかるい沈鬱


 雨の休日。こんな日はあの日のことを思い出す。

 あの瞬間。「昭和」が終った日だ。
 冷たい雨が降っていた。私はとうとう明日が締め切りになってしまった卒論を、もうあきらめかけていた。「頭冷やしてくる」とだけ言って雨の中、歩きに出たりした。
 テレビは、延延と「昭和」回顧を流し続けていた。やがて小淵長官が映し出され、あすからの時の名を告げた。あの、どこにもよりどころの無さげな音韻を耳にした瞬間の、巨大な違和感を忘れることはないだろう。
「『ヘーセー』…? 『ヘーセーガンネン』…あしたから、『平成元年』だって?」

 今、目の前にいる生徒は全員平成(しかも終盤)生まれであるばかりか、同僚すら平成生まれが約半数となり、「あの日」を巡る断絶は埋めるべくもない。昭和は遠くなりにけり、だ。ただ、あの日があって今日があるのは確かなこと。そして今日がやがて遥かな日となるのもまた然り。

 あの日は、確かに沈鬱な日だった。だが今となればあのむやみな沈鬱さも、何やら妙に懐かしい。
 「あしたから、『平成元年』…か!」根拠の乏しい期待、意味不明なあかるさが、あの昭和64年1月7日の夜のどこかに、まだ生きていた気がしてならないのだ。



筆順はあの日おぼえき 息(やす)みをる火の峯のごと「成」の遠影(とほかげ)

ケータイもウィンドウズもなかつたんです、なくたつてよかつたはづで

「平成」は耀(かがよ)ひてゐつ腑甲斐なき新卒教師のわれも抱いて

成人の晴着の君を目守りつつわが晩成はなほ晩かりき

平成が果てし日のこと君たちも伝説のやうに語るであらう




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