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1999年から2003年までの阪神タイガース その②

野球場における二次会の定義とは?

①デーゲーム終了後における応援団主催のもの
②勝利後における球場外での二次会

球場の中で行うものもあるが、
僕は球場「外」で行う二次会に魅力を感じた。
因みに僕は応援団員では無い。
阪神タイガースが好きなただの素人だ。

先に言っておくが、これから話す内容は
25歳以下、または2004年以降に甲子園に通い出した阪神ファンは絶対に知らない内容だ。

そして阪神ファンの応援は2003年のマジックが点灯した時点で終わっている。
本物の応援と二次会は2002年の最終戦までだと記憶している。

阪神ファンによるホームゲームの二次会の内容はこうだ
①外見からして強烈な声の通るリードを執る人間がいる
②1番〜9番の選手を讃え応援歌と六甲おろしを歌う
③3コールで巨人の悪口を大合唱

特に③が重要となる。
二次会の内容の7割は巨人の悪口だ。
巨人ファンより巨人の事に詳しい事が必須となる。
ぶっちゃけ、阪神のことなんてどうでも良い。
いかに巨人の悪口を3コールで300人規模のタイガースファンで共有出来るかが重要となる。

試合終了後の阪神甲子園球場21号門前。
数百人規模のタイガースファンがリードを執るアイパーに一極集中で二次会で盛り上がる。誰ひとり歌えない応援歌は無く完璧だ。
物凄い声量。物凄い光景だ。
その熱量を仕事や学業に活かせば良いのに!

21号門前から高架下、そして阪神電車直通特急梅田行きの車内からホワイティうめだまで続く。

二次会に参加する人間は95%男。
見るからにイケてない、女にモテない、低収入丸出しのブサイクで何の取り柄もなく生きる事に不器用な人間は野球場で数々のドラマを残した。

その代表が①のアイパーだ。
証明しよう。
アイパーを知らない阪神ファンはニワカだ。
これは間違いない。
①の周りには会社でいうカバン持ちのような人間が存在する。
アイパーの周りにはいつも人がいた。

アイパーは顔が海坊主、年齢∞の90年代から甲子園に通う古参だ。
大阪ドームや西京極等の関西圏での地方球場での試合、
2002年〜2003年は初の東京ドーム遠征。
関東の二次会の指揮を執り亀山の応援歌を歌いながら水道橋駅の改札をヘッドスライディングで通過する事に成功している。
本人曰く「切符はちゃんと買った。雨の日だったから滑りやすかった」と意味不明なコメントを残している。

2001年までホームゲーム勝利後二次会のほぼ全試合の指揮を執った。
これは並大抵の事ではない。
神戸市内に自宅があるにも関わらず、
最後のホワイティうめだまで指揮を執る阪神ファンの鏡だ。

巨人戦試合前のレフトスタンド。
ジャイアンツの選手が体を動かしアップしている最中、
週刊誌を片手に選手に向かって叫び倒す巨人の知識の塊だ。
ゴシップネタはいつもアイパーが教えてくれた。
実際、後藤選手に「またお前か!何でそんな事知ってんねん!!」とキレられ球場を沸かせた男だ。
当時のジャイアンツの選手はみんなアイパーの事を知っていた。

忌引による休暇を除き2000年・2001年はほぼ皆勤。
早朝からパン屋で働き終了後に甲子園へ向かい、最後まで二次会の指揮を執り翌日には何事もなかったかのように仕事に向かう最高の男だ。

甲子園に通い出し約1年。
フジ君とハマちゃんという友達が出来た。
フジ君がアイパーと友達だった事もあり、
アイパーと接触するまで不思議と時間はかからなかった。

僕はある試合の二次会後、
アイパーと電話番号を交換した。

16歳。ほんの少し強くなったような気がした。

続く

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