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1999年から2003年までの阪神タイガース その㉙

軍団の中で唯一、
85年の優勝経験者が存在した。

当時30代前半〜半ば。
高校生の僕から見ると随分と大人に見えた。

名前は「遠山さん」
遠山奨志を心からリスペクトしていた。
その為遠山さんと呼ばれるようになった。

遠山奨志に関してはWikipediaを参照して欲しい。今では野村再生工場で復活した選手の一人とされる。

一度二度と戦力外通告を受けた男が松井秀喜や高橋由伸をキリキリ舞いとさせる姿は暗黒時代のファンにとって魅力的だった。

遠山さんの人生。話を聞くと壮絶だった。
きっと自分の人生と遠山奨志を照らし合わせていたのかもしれない。
とにかく彼は遠山奨志が大好きだった。

僕らは若かった。
92年を除き、強いタイガースなど知らない。
遠山さんはタイガースの全盛期を知っていた。
85年当時は高校生。
学業ほったらかしで甲子園に通いタイガースに没頭したそうだ。

開門ダッシュ、徹夜、プロの事。
大乱闘、乱入、二次会、道頓堀。
そして経済効果。

まだあるよ。
「あの日、カーネルサンダースが川にはめられる瞬間をこの目で見た」とも。

遠山さんの話はおとぎ話のようだった。
二次会に何十年も参加する男。
生きてるうちに一度は経験したいような話ばかり。
みんな目を輝かせて遠山さんの話を聞いた。

「いつか道頓堀で大規模な二次会がやりたいね!!」

遠山さんの話を聞いているうちに
それは僕たちの夢となった。

タイガースは当時四年連続最下位。
いくら何でも弱すぎる。ドン底だった。

そして、遠山さんもドン底だった。
遠山さんは身体はデカいが、
気が小さくて暗い。
とても大人しい、優しい男だ。
僕には必要無いと携帯電話さえ持っていなかった。用がある時は実家へ電話した。

人と接するのがとにかく苦手。
実家住まいで何年も就職していない無職だった。

「仕事、なかなか見つからなくてね」
「やんやんの年齢が羨ましい。戻りたい」

帰りの京阪電車でそう漏らした事がある。
遠山さんも生きる事に苦労していた。

タイガースは間違いなく彼の支えだった。

外野で応援している遠山さんは楽しそうだった。
二次会ではプライベートでは見せない笑顔を振り撒いていたんだ。
暗くて、冴えない、優しい男。最古参だ。
現実から逃れたい姿が垣間見えた。



遠山さんの引退は突如訪れた。
85年からずっと通い続けた甲子園。
彼はばったり来なくなった。

「実は就職が決まったんだ」

2003年6月に僕たちは電話口で告げられた。
豆腐屋に決まった。と。
朝が早く、夕方には仕事が終わる。
甲子園にも通えそうだと喜んでいた。
もちろん僕らも喜んだ。

しかし、彼はその後甲子園に来る事は無かった。


2003年9月15日。
甲子園での喧騒。
夢を見ているような時間の中、
「遠山さんに連絡しよう!!」

僕らは遠山さんが教えてくれた夢の中にいた。
遠山さんに会わないでどうする!と。

道頓堀への道中。
梅田の御堂筋線改札前で遠山さんに会った。

痩せこけた遠山さん。

僕らはみんなで抱き合い、涙した。
遠山さん、ありがとうと。
ハマ君が酔っ払ってキスをする。
僕らは遠山さんの教えてくれた夢の中にいるよと。

遠山さんは笑っていたが体調が悪そうだった。
道頓堀に行こうと誘ったが、
みんなで楽しんでおいでと来なかった。

遠山さんを見たのはこの日が最後になった。

数年後、軍団の一人が遠山さんを心配し自宅に電話をかけた。
電話口に出る遠山さん。



僕らはもう、遠山さんと会えなくなってしまった。



1985年ドラフト一位 遠山奨志。
二度の戦力外通告を受けながら、
野村再生工場により遠山桜を咲かせた。
ドン底より這い上がった男。
年俸5億5000万の松井秀喜に「夢にまで見た、顔も見たくない」と言わせた男。

遠山さん、待ってるよ!
あなたがフラっと目の前に現れてあの頃の笑顔を見せてくれる事を。

その時は軍団で、みんなで、胴上げだ!!
遠山さんの引退試合やろうよ。マジで。

「カムバック賞」はアイパーから。

京阪電車で貴方はこう話してくれた。
「僕が甲子園に通い始めた、やんやん位の歳の頃を思い出すよ。絶対に辞めるなよ、阪神ファンを!」

あれから20年が経った。
遠山さんの年齢を越したよ、遂に。

そして。
色々と変わったけど。。。
辞めてないよ、阪神ファン!

今度は僕が。
2003年の出来事を若者に伝授出来ればいいね。

あの時の遠山さんのように。



続く

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